トルコ旅行記3日目 1月26日前編

 アイワルクのホテルで目覚めた我々は、午前6時過ぎに朝食バイキングに駆け込みました。

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 各種オリーブと、多分下段の向こうから3つ目のボウルに入ってんのは干しぶどうのオイル漬けだった。似たような加工されたぶどうとオリーブが同じエリアに並べてあってびっくりしたんだけど、よく考えたらぶどうもオリーブも似たようなもんだしな…(?)。

 午前7時頃、ホテル出発。
 ホテル前にぐうかわねこたんがいてな〜〜〜〜〜ぐいぐい来るんだよな〜〜〜〜〜〜ハッハッハ!!!!!かわいいな!!!!!!!!!

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 本日は内容が非常に濃いし、実際この旅で1番写真を撮った日なので、あんまりダラダラ書かずにどんどん写真を貼ることにします。
 そうは言っても、まずは移動。アイワルクのホテルから3時間半かけて220キロ走ります。いや、走りすぎでは???このペースだと、5日目あたりでトルコ走り終わっちゃうのでは????

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 目指すのは青く囲んだセルチュクという街です。
 途中で経由したイズミルという街は非常に大きく、高層ビルも建っていて、現代的な都会という印象でした。バスはイズミルの都心部は通らず、街の東側のエッヂ部分をなぞる感じで抜けていきます。
 イズミルの郊外のガソスタでトイレ休憩があり、売店にスタバがくっついてて「スタバだ!!!!!!!!!」って言いながらみんなでスタバに突撃したの面白かったなー。スタバ初めて見た人みたいなムーブしちゃった。
 スタバ横にはちょっとした売店もあって、パンなども売っています。

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 ガソスタのすぐ近くにアウトレットモールがあったのを見て、郊外にアウトレットモールがあるのは万国共通なのかな?って気になりました。
 さらに南下してついにセルチュクに入ると、遠くの丘の上に城塞が建っているのが見えます。

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 13世紀に建てられた砦だそうで、今は軍が接収して使ってるそうです。13世紀の砦が残ってんのもすげーし、現役で軍が今も使ってんのもすげーし。

 そして、到着しました。アルテミス神殿跡地であります。

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 アルテミス神殿遺跡はあまりにも古いので(紀元前7世紀とも言われています)ここに残ってるのはこの2つの柱の残骸程度です。残念。でも大丈夫。実は他の場所で、アルテミス神殿の柱を見ることができるのです。
 ここにたくさんあった柱のうち、いくつかは遙かイスタンブールまで運ばれ(エンジンのない時代にまったくご苦労なことよ)、巨大な神殿の入り口を支える柱として再利用されることになりました。今でもアルテミス神殿の柱が使われているその建物はアヤソフィア大聖堂と言い、なんと6日目に行きます。やべえ。

 アルテミス神殿から車で数分のところには、古代都市エフェソスの遺跡もあります。というか、観光目的としては実質的にこっちがメインです。
 有料の公園みたいになっていて、入り口で手荷物検査をしています。あと20歩に1匹くらいのペースで猫がいました。

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 猫と触れ合いながらゲートをくぐって、まず目に入るのが、これぞローマである!!!!!!!という圧倒的正しさで鎮座するこのアーチ。

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 正しすぎるでしょ…大正解のローマ感でしょ…。
 とか言って、私がローマっぽい遺跡とギリシャっぽい遺跡の違いをなんとなく認識できるようになったのはここ1年くらいの話でして、それまでは全部ひとまとめで「地中海の遺跡っぽい!」という感想しか持てませんでした。歴史を学ぶというのは、認知の解像度を高めることでもあるわけです。
 めちゃざっくり言うと、直線的な構造というか、柱でできた直方体の箱の上に三角屋根のっけました〜みたいなのはギリシャっぽい。
 そのギリシャの構造を踏まえて、後続の文化であるローマではさらに洗練され、アーチを多く使った円形の構造物や、セメントの利用が始まったりします。(でも実はギリシャ時代とローマ時代の建築技術は断絶してて…みたいな話もなんかの本で読んだんだけどなんの本だっけ、忘れたァーン)

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 この門の上には十字架が掘ってあって、私は「ラテン十字!!!!ローマ帝国である!!!!ローマ帝国である!!!!!」って頭の中で興奮してたんだけど、ガイドさんが言うにはギリシャ十字らしく、そ…そうなの…?ギリシャ十字って縦棒と横棒の長さ同じやつなんじゃないの……?分からない……なにも分からない……。

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 ↑劇場跡地。

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 ↑柱の根元。分かる人だけ分かってくれればいいけど、これ見て最初の感想が「DQB2じゃん」だった。

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 こういう彫刻に使われる石って柔らかいの?どの彫刻も、石で出来てるとは思えない柔らかい曲線とか逆テーパーとかなってるけど、なんかちょっと刃物っぽいものあれば加工できちゃうような感じの石なの???

 ここまでの段階でかなりもうすでに、『ありあまる遺跡』としか言えない様相を呈しています。ほんとに信じられないほど雑に、立派な飾り彫刻が施された遺跡が置いてあって、というかもはや散乱してて、道沿いになんとなく並べてみましたーッ!っていう雰囲気。目に入るすべてが全部ものすごく歴史的なものなんだろうけど、目に入る量があまりにも多くて、相対的に価値がめちゃくちゃ下がる。意味がわからん。

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 だって、こんな置き方、考えられるか?????古代ローマ帝国の遺物だぞ????????日本だったらこの割れた彫刻のひとかけら見るためだけにわざわざ東京のどこぞの博物館まで行って延々並んで人混みかき分けて一瞬見れる程度のアレだぞ???????????それをおまえ、こんな、ちょっと邪魔くさいんでここに立て掛けておきますね〜(^o^)みたいな、おまえ、おまえ……

 大きな通りとその両脇に残るおうちの跡。ねこもいます。

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 おうちがあるので、トイレもあります。

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 トイレは座るとひやっと冷たいので、当時のお金持ちは先に奴隷をここに座らせておき、温まった頃に用を足しに行っていたそうです。トイレあっためておくお仕事って初めて聞いたなー。
 このトイレは水洗式で、座るところの下にはめちゃくちゃ深い溝が掘ってあり、下水道として使われていました。危ないのでトイレの周囲だけ近づけないようになっていましたが、腕伸ばして頑張って撮った写真がこれ↓。

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 深すぎるだろうが……おっかねえだろうが……。

 道に沿って進んでいくと、正面に広場と大きな遺跡が見えてきます。2万冊の蔵書があったというセルシウル(ラテン読みだとケルスス)図書館の跡地です。

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 ちょっともう、意味が分からないんですよね。なんなんでしょうね。
 去年イタリアに行ってたタケユキから「海外旅行いくまえに絶対スマホ機種変しろ」って言われて、去年の暮れにiPhone11に買い替えたの。それまでずっとSE使ってて、あのサイズすごく好きだったから、11に変えた半日後には「でかすぎる…失敗した…」って思ってて、ずーーーーーっと後悔しっぱなしだったんだけど、この日ここに来て初めてまともに広角レンズ使って大きい画面で写真見て、エフェソス遺跡のど真ん中で「機種変してよかったーーーーーーーー!!!!!!!!!!」って叫んできました。
 いやまあ機種変したところで、トルコのやばさを完全に収めてくることはできないんだけどさ、でも自分なりのベストは尽くしたいじゃん。

 図書館に立ってる人物像4体はレプリカで、本物はウィーン博物館にあるそうです。ウィーン博物館に行く理由ができてしまった。

 図書館正面には売春宿があり、図書館とは地下の秘密通路で繋がれていたといいます。立場的に売春宿へ正面から堂々と入れないひとたちが、こっそり使っていたんだとか。
 近くの通りには、売春宿の場所を示す埋込式の案内図も残っています。

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 このさき左側(左足の図)に売春宿(ハート)がある、という意味の絵で、黄色で囲んだ四角い枠の中には料金が刻み込まれていたそうです。
 この街もトロイア遺跡と同じで、かつては海に面していたものの今では海岸が遠くなってしまいました。港と街が接していた時代には、船から降りたひとたちはまずお風呂に行って身体を洗い、それから売春宿に行くのが定番ルートだった、とガイドさんが説明してくれました。
 地図で見るともうかなり海岸線が離れています。ざっと4,5キロはありそう。時の流れを感じます。

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 大きな通りは図書館の前で垂直に曲がり、更に幅広の立派な大理石の通りに出ます。壁にボコボコ穴が空いてるのは、昔ここには石製のレリーフがはめ込まれていたけど、その後ほかの場所に新しく街や建物を作るときに運び出され再利用されているためだそうです。新しくレリーフを作るよりも、運ぶコストの方が安上がりだったってことか。

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 この道の先にははちゃめちゃにでかい円形劇場があります。でかすぎるので笑いました。

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 だいぶ離れた並木の隙間から見て、ようやく全貌がわかる。でかすぎる。

 充実の、充実しすぎのエフェソス観光は以上です。
 私の知ってるエフェソスは、初期キリスト教史に出てくる公会議の場所でしかなくて、こんな遺跡が残ってるって知らなかったし、現地に来ないとわかんないことっていっぱいあるなあ。
 エフェソス公会議は死ぬほどかいつまんで言うと「マリアのこと、神の母って呼ぶのおかしくね?マリアが生んだのは人としてのイエスでしょ?てことはやっぱイエスは人なんじゃね?マリアは神の母じゃないんじゃね?」っていう主張に対して、「うるせーーーーーッ!!!!!イエスは人であり神だっつってんだろうがーーーーーーーーッ!!!!!マリアは神の母だろうがーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!!」ということを確認した会議でした。
 人でしょ派が早々に異端認定され、「ちげーよ神に決まってんだろ文句あるやつは全員ぶっ殺す」つってマジの死人まで出した回もありつつ、結論はその次の公会議に持ち越されるという……つまりどういうことなんですか…?
 三位一体論は本数冊読んだ程度で理解できるアレじゃないから、中途半端にわかった気持ちになってそこで考えるのをやめてしまうより、わかんないものをわかんないまま保留する悠長さも時には必要なんじゃないかと、私は思います。

 そう言えばエフェソスというのは古代の名前で、現代読みするとエフェスになるとガイドさんに聞いたんですが、エフェスビールはこの辺で作られているんでしょうか。質問しときゃよかった。

 次回3日目後編では、テクスチャの読み込みが間に合ってないバグマップへ突入します。じゃねー。

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