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試合まで2週間。勝ちたい。

ちょうど試合まで2週間となりました。

試合前の練習で消耗している時期です。よく練習ができています。
練習の量が増しているというよりかは質と集中が上がることで肉体が消耗していると捉えています。先週も今週も土曜日は頭が回らない上に何もする気が起こりません。土曜日昼のクラス終了と同時に動く気力がなくなります。

気力でやっているのが自分でよくわかります。
何もないと動く気が起きないのは気力でやっている証左であって、裏を返せば気力があれば動けるのであって、「元気があればなんでもできる」はあながち間違った話ではないのだと思っています。

練習の質量調整と休息のバランスの試行錯誤が功を奏してなのか、怪我もなくグッドコンディションを維持できています。とはいえ老いから逃れられる者がいないのもまた事実であって、抗いつつ諦めつつ職人としての腕の見せ所だと思っています。

格闘技は記録を競い合うものではありません。
相手に勝てばいいのです。勝った人間が強いのであって、強い人間が勝つのではないからこそ、格闘技者として勝負師として腕の見せ所であり楽しみだと思っております。実力で天と地ほどの差があっても勝敗は約束されずに番狂わせはよく起こります。

僕は自分を勝負師だと思っています。
格闘技選手と勝負師の違いは何かと聞かれれば、僕は格闘技の力にもこだわりはありますが勝負にもこだわります。格闘技を大事にはしますが、それ以上に勝ち負けが面白いのです。勝ち負けが本当に面白い。強い者が勝つのではなく勝ったものが強い。

勝つための戦術に戦略とそれを可能にする心技体。
ときに相手を打ち負かし、ときに相手を自爆させる。

僕は毎回、勝ちに拘っています。(誤解している人もいる)
芸事と勝負事は共存すると僕は思っています。もしかしたら芸事と言うと勝敗を超えた闘いなのだと解釈する人も出てくるとは思います。そこは勘違いしないでほしい。勝敗を超えた試合などないのです。勝敗を超えることができるのだとすれば…。

徹底的に勝敗に拘ることで結果的に勝敗を超越することはあったとしても、最初から勝敗を越えようとするなど勘違い甚だしく、そんなものは遊びであり、まやかしだと思っています。徹底的に勝敗にこだわるからこそ、その人間の剥き出しの感情が出るのです。剥き出し全裸の感情を出せないのだとしたら芸事には向いていないと言わざるを得ません。カッコつけてるうちはスポーツ選手でありヨカタです。一昨日おいで。

僕は勝ちたい。勝ちたいからこそ怖い。
対戦相手の映像を見ては不気味さを恐る。対戦相手の写真や映像を見るのが怖い。不安を消し去ってもどこからともなく湧き出てくる恐怖心。勝ちたいからこそ怖いのだ。勝てばそれでいい。何もいらないから勝てばそれでいい。殺される前に殺したい。殺されていいと思ってます。

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