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自転車が切り裂かれた話 被害加害どちらも苦しいよね 

土曜日の朝8時45分より「青木学校」と称して選手練習をご一緒させてもらっています。技術を伝えることはもちろんなのですが、格闘技の概念や考え方を共有していく時間として大切な時間となっています。

8時45分の練習開始に合わせて8時半前後には家を出るのですが、家を出て駐輪場にて自転車に異変を感じます。僕の自転車と他の自転車が百円均一で売っているような安い自転車用の鍵で括られています。誰かが悪戯をしたのだなと鍵を千切って、とりあえず練習に向かおうとするとパンクしています。

練習に間に合うのが優先順位として一番ですから、まずは急いで練習に向かって、自転車の状態は練習後に確認することにします。練習後に家に戻って確認するとパンクした前輪は刃物で切り裂かれて、サドルも刃物で切り裂かれていました。

切り裂かれた場所を実際に見ると精神にきます。
故障で修理をすれば直るとも言えますが、視覚から入ってくる切り裂かれた情報はダメージが大きいです。剃刀を送りつけるとか、新聞を切り貼りした不気味な手紙を送りつける話は聞いたことはあるのですが、その意味が少しだけわかりました。精神にそれなりにくる。

自転車屋さんに修理に行くと自転車屋のお兄さんが警察で被害届を出すことを勧めてくれるので従うことにします。警察に行って被害届を出す手続きにトータルで1時間ちょっと時間を要します。僕にとっても警察官の方にとっても本来はなかった時間なだけに申し訳なさとくだらなさでいっぱいになります。防犯カメラがあるから防犯カメラの確認と指紋をとってくれはしたけれど、捕まることを期待していないし、僕がお願いすることはもうしないで!それだけです。修理代の11360円も賽銭箱に投げ入れたと思っているから。

僕を知っていて僕を狙ってのことなのか、それとも愉快犯なのかは僕には分かりません。どちらにせよ昨日から怖さを抱えて生活していることに変わりありません。自転車に傷をつけた方も辛いことがあったりとか、嫌なことがあったりしてのことなのかもしれないし、若しくは精神の限界を越えてしまってのことなのかもしれません。こっちも嫌な思いはしたけれど、そっちはそっちで辛いのも分かります。

行為に対して共感や同意はできないが理解できるところはあります。
実際にやるかやらないかは別の話で何かに当たりちらしたいことは僕にもあります。幸運なことに僕は格闘技やプロレスや文章で表現出来て、熱中することができるけれど、熱中することに出会えず、八方塞がりになってしまったときを考えたらゾッとします。自転車に傷つけるくらいで済めばいいけど、自ら命を絶とうと考えることさえあるのではないかと思います。

僕には格闘技があってよかった。ただそれは自分で掴んだもののように見えて、実際は幸運の積み重ねであって、幸運に恵まれるよう機会に立ち続けただけの話で誇ることでもありません。生きただけです。だからこそ生きろと言い続けたいし、生きていることに価値があると僕は思っています。死んでしまったら何にもなりゃしない。

世の中が厳しく苦しくなって、生き難くなっているのを感じます。
それは経済的なことなのかもしれないし、多様な社会と言われても実際は押さえつけられる同調圧力全開の社会を生きる苦しみなのかもしれないし、社会も受け取る側の人も余裕がない中で試行錯誤をして何とか先に進めようとしている最中の苦しみなのかもしれないが、実際に生き難かったり辛く苦しいことがあるのは変わらぬ事実です。

辛く苦しい社会なのは事実ある。生き難いと感じる方が多いと思う。
それでも僕には期待があって社会はよくなると思っています。
それには理由があります。僕の友人達は社会を良くしようと各持場で必死に闘っています。高齢者の在宅医療の現場で泥まみれ糞まみれ汗まみれで働く友人もいれば、広告で社会を変えると歩みを止めない友人もいれば、コラムニストとして押さえつけの強い社会を解そうとする友人もいて、彼らを見ていると必ず良くなると確信します。

じゃあお前は何かしているのか。格闘技をしている。表現をしている。
格闘技で自分の伝えたいことを表現しています。ただの試合ではなく思想信念主義主張を持ってやっているし、人々の感情を揺さぶり活力となり人のエネルギーになれると信じてやっています。社会に対する問題提起や解決を行なっていると胸を張って言えるくらいにはなりたいところだが、悔しいことにそこにはまだまだ距離があります。

芸事をしていると自分たちのやっていることに価値があるのかわからなくなることがあります。やっている側は好きなことで一生懸命遊んでいるし、周囲からも道楽だと思われることもあるから、そう思ってしまうときがあるのも仕方がないです。

僕は芸事には価値があると思います。
僕がプロレスや格闘技の表現に力を貰ってきたからです。ケンドーカシン、桜庭和志、藤田和之に力を貰って生きてきました。特にケンドーカシンからは周囲と上手に出来ないことを悩む僕の足元を照らしてくれました。鬼束ちひろは書きかけの手紙の中で「まともじゃなくたって それでいいから」と謳っていて最近はそれに励まされた。プロレス、格闘技、表現、文章などの表現に救われてきた体験から胸を張って言えます。芸事には価値があると。

3月26日に試合をします。
今の世の中に価値があることだと思う。今の世の中に意味があることだと思う。「本当のこと」を言うと厳しく冷たい人に思われて、損な役回りをしたこともあるけど、だからこそ得られるモノや失わなかったモノもあって、今は自分の伝えたいことを伝えられるように思います。「優しく」ありたい。僕の試合を試合に向かう姿を見て何かを感じてくれたら嬉しいです。

生きて機会に立つ。幸運の確率を上げて行こう。だから生きろ。

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