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好きな気持ちだけでやっている話。仕事だけど仕事じゃないからめんどくさいですよ。

格闘技でやりたいことは何かと考えたときに思い浮かぶものがない。
チャンピオンになりたいとか、どこかの団体に出たいとか、誰とやりたいとかはとっくにやりきった。ファイターらしくないとか、向上心がないとお叱りを受けるかもしれませんが、桜庭和志とケンドーカシンに憧れて格闘技選手を志した僕が、2015年に桜庭和志とケンドーカシンと試合をしたところでこれ以上はありません。ただ好きで楽しくやりたいだけです。

2015年で僕の格闘技選手としての目標は終わっています。
2015年以降は格闘技が好きな気持ちだけでやっています。好きで楽しいからやっているだけで大義は何もありません。カネでもなければ自己実現でもなく、ただ好きなだけです。それでよくできると言われることもあるけど、好きで楽しいからできているのであって、好き以上に強い動機はないと思います。

僕が大好きなライターの中川淳一郎さんが椎名誠の本の帯を書くのを目標にライターをしていて、椎名誠の本の帯を書いたときに仕事でこれ以上達成することはないと仰っていたのですが、まったく同じことが僕にも言えます。誰が何と言おうと僕にはこれ以上はないのです。正直に2015年以降は惰性と好きと仲間に引っ張られてやってきたと言います。

カシン先輩のこの言葉(以下参照)に影響を受けていて、この内容は四日市で金本浩二へのマイクをしたバックステージでのコメント「俺は別にいつ辞めたっていいしね。全然プロレス界に必要な人間じゃないし。潰すか潰されるか、それだけだ」に通じる気概を感じて、僕の好きな言葉で僕の指針となっています。

“「僕はフリーですから、仕事がなくなったらそれでおしまいなんですよ。プロレス界から自然と消えていくしかない。そうなる前に自分が楽しいと思うことをやろうと心に決めただけなんです。悔いのないようにプロレス人生を送ろうとしているだけで、特に悪意は全くございません、ハイ」”

東スポnote https://note.tokyo-sports.co.jp/n/n9ba520eaae6d

ただ好きで楽しいからやっているだけだから、やっていることに理解をされなかったり、上から偉そうに言われたり、気持ちのいい関係で仕事ができなければ「ならやめます」とすぐになってしまいます。堪え性がないと言われたらそれまでではありますが、芸事で飯を食っていたら芸事と演者を尊重されない状況だけはいくら銭をもらおうと譲れないものがあるのです。尊敬してほしいとは言っていません。尊重してほしいだけであって、対等で話をしたいだけです。できないのであれば、こちらがケツまくっておしまいです。青木真也が青木真也であること以上に大切なことはないと思ってやっていますから、自己防衛の意味でも譲れない幅は持ってやっています。

直近にもそんなことがあって、「じゃあやらなくていいです」、「クビでいいです」と頭に浮かんできて堪え性がないどころか、向こう見ずな職人が過ぎて、商売っ気が薄くてこれじゃあカネにならんと嘆こうにも、僕が生きていくのにはカネがそこまで必要ではないことが見えているから、これまた堪える意味が見えてこないのでありまして、どうしたものかと途方に暮れておりました。

僕は意地を張った生き方をしていると思います。でもいい人生を過ごしています。損な生き方だと思う人もいるだろうし、下手な生き方だと思う人もいるのは重々承知な上で僕はこの生き方をいい人生を過ごしていると言えます。小利口な生き方をしたいのだったらレスラーや格闘技選手などやっていません。

ちょっと前までは「試合をしたい」、「試合をしなくちゃいけない」と思うことがあって、プロモーターに対して我慢をしたり、ときに合わせたりしていました。それがここ最近はそれならば「やらなくていい」と思うようになってきたので、自分の中での試合の位置づけが変わったのだと確認しました。試合はタイミングと条件が合えばであって気が向いたらやればいいなと思うと気が楽なのと嫌な思いをしないで済みますね。選手はこの思考おすすめです。

今は心身共に充実している。これだけははっきり言います。
39歳を目前にしてコンディションを維持し続けるのは並大抵のことではないです。生活を注ぎ込んで作り込んでいます。分からなくてもいいから想像をしてほしいし、身体張って青木真也をやっているのを見てほしいです。

ファイターやレスラーは経済的には貧しいと見えるかもしれないけれど、カネで動かない人種です。そこをわかったふりをする人は多いけれど、分かっている人は少なく、揉め事の多くはここらへんからきているように思います。「受け身とったことのないヤツにわからない」とプロレスでは昔から言われる言葉ではありますが、ヨカタにはわかりません。カシン先輩の言う通りで自分の好きなことを好きなようにやって悔いのない生き方をしていきたいのです。必要がないならそれまで。

3月26日に格闘技戦をします。
青木を取り巻く状況がようやく試合ができるまでに整ったのか、芸事をする最低限の状況はできたようなできないような状況ではあるのですが、無頼を気取って芸事をするのであれば「やるかやられるかそれだけだ」です。大丈夫だ。いつだって足場はよくなかった。その中で誰よりも日々をやってきた。今回も日々をコツコツ頑張っていこう。

急にこんなことを書き始めてどうしたんだ!と言うと一件落着はしたもののちょっとした波風が立っていて関係各位にはご苦労をおかけしました。何がどうしたといちいち説明することでもないのですが、青木界隈の結束は硬いが地盤は心配というか、足を引っ張られることは多々あって、毎度のようにあの野郎いつか潰してやる!とやるものですから、いつまで経っても解決しないベトナム戦争状態です。

今回は一件落着となったものの懸命に何かをやっていたらそりゃあ衝突はするとは思うし、より良いものを作るための衝突であって、良いものを作るためには今後も元気に笑顔で衝突していく所存です。保身のためではないといいなと思います。

そんなときに映画「ランボー」を観ました。
子供の頃からランボーは好きで影響を受けた映画です。38歳の格闘技選手としての視座で観たランボーはまた違ったもので身に染みました。子供の頃に感じた憧れとしてではなく、自分の身に起こっていること、起こるであろうことを描いていて、骨まで染みるような伝わり方をしました。詳細を書くのは省略しますが、映画も格闘技も音楽も「何を伝えたいのか」が大事だと改めて感じました。ただの試合は僕がやりたいものではないし、

「俺たちが国を愛するように国も俺たちを愛してほしい。」これはランボー2のラストシーンのセリフなのですが、そっくりそのままで選手が格闘技を団体を愛するように団体が選手を愛してくれるのであれば、選手は何でも差し出しますよ。この関係が出来上がれば良いものを作れるんだろうなと思うし、これが信頼関係って言う当たり前の話に行き着くのでした。貸し借りを理解できたら自然と上手く回ると思うんですけどね。

まずは3月26日。いいものを創るぞ。

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