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「普通じゃなくたっていい」と観念できた話

思い返すと子供の頃から普通のことができなかった。

友達と仲良くする事はできなかったし、ずっと座っていることもできなかったり、何故か急に学校に行きたくなくなったりと普通の子供が普通にできることができなかった。小学校の通信簿には「協調性がない」と書かれていた。今の青木真也から見れば納得だとしても当時は僕自身も両親もそれなりに悩んでいたけれど、いくら悩んでもできないものはできないのだから仕方がない。


親が呼び出されるのは日常茶飯事で呼び出されるのに疲れた母親に代わって呼び出された父親が見事に学校で先生と揉めてきたりとどう転んでも居心地が悪かった。おかげで子供の頃の思い出であまりすっきりしたものがない。

中学高校と柔道に打ち込んだ。真面目な優等生として、それなりの成績も出したけれど、何故か普通のことができなかった。普通のことができなかったというよりかは何をしても浮いていた。周りの子が面白いと思うことが面白いと思えずにいた。いつも変わっているとされた。なれるものなら普通になりたかった。

格闘技選手を生業にしてからも普通にはなれなかったけれど、個人主義と東京の無関心に助けられてなんとかやってこれた。それでも普通になりたかった。ずっと普通になりたかった。

普通に憧れていたから警察官として就職してまともに生きようとしたし、普通に憧れていたから結婚をして子供をもうけた。どちらもダメで今は青木真也として生きている。何よりも我が身が大事で青木真也を優先して考えるから家庭が上手くいかないのも仕方がない。よって後悔もしていないし知ったことではない。

普通とか安定に憧れていたのか。普通になれば幸せになれると思っていたのか。普通は苦しくて溺れて諦めた。どうやら僕には出来ないらしいとここ数年で観念して、青木真也として生きている。

最近になってようやく「普通じゃなくたっていい」と思えた気がする。
言葉では普通でなくていいとは言っても、深層心理では普通ではなければならない思っていたのだと思っていて、ここまでの道程は普通じゃなくたっていいと自らを信じる為のものだったように思っている。

結局は今も過去も自分を探していて、自分の幸せとは何かを探している。幸せは日々変わるからこそ、敏感に慎重に自らの解を探していこうと思う。昔から自分の幸せには人一倍敏感で人の定義したものに馴染めずにいたんだよな。

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