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試合が終わって3週間。ドラッグとしての試合の効能と魔力を考えてみる。

試合が終わって、もうすぐ3週間が経ちます。

試合について声を掛けてもらったり、反響をいただくことがあって、懸命に試合を創って、良かったなと思うことが多いです。一切消費されないコンテンツを作るのは難しいけれども、その中でも長く味わってもらえるものが創れたのであれば、これほど嬉しいことはないです。

前回の試合は「幸せな時間」のコピーで試合をしたのですが、幸せな時間と言っても試合が終わったら、また試合が未定の状況になるので(今回は何故かすぐにお話頂けたが。)、試合が終わったら次の試合が来る保証もなければ、いつクビになるかもわからない。

試合契約があるじゃないかとなっても、僕はこの手の契約事は団体がなくなれば意味がなくなることを過去の経験から知っているし、選手の立場は守られていないからこそ弱いし、強いと思っています。要は常に危機意識を持って、不安を抱えて生きているし、他人事で生きることがでいないので、幸せを感じる割合は少ないのではないか思います。ただ強く生きれます。

不安定で先はどうなるかわからない水商売をやっている自覚は強くあります。これが不安でないかと言われると不安ではあるのですが、それはそれで慣れてしまっています。なんとかなるしなんとかやってきた積み重ねの経験があるからこそです。

試合を自分自身がどう捉えているのか。そんな話を今日はしていきます。
何故、辛く厳しいはずの試合をここまで欲して、更にやめられなくなってしまうのか。試合の魔力と試合の効能を解説できたらいいなと思っております。

絶対的な快楽。これ以上の快楽はない。解放の快楽。

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