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『強さ』と『完成度』は別だよなって話

格闘技で『強さ』(結果)と『完成度』(主に技術)は同一に語られがち。

それは同じように見えてまったく別の話です。強さと完成度は近しい関係にはあるけれど、必ずしも=(イコール)となるわけではありません。強さと完成度の関係を整理することで自己の格闘技の上達がスムーズになったり、日々の生活や仕事に役立つ思考法なのではないかと思ったので解説していきます。

完成度高い+強い 完成度低い+強い
完成度高い+弱い 完成度低い+弱い

大まかに分類するとこの四つの組み合わせが頭に浮かびます。完成度高い=強いと考えていると完成度が低いのに強かったり、完成度が高いのに弱かったりするのが理解できないと思うので一つずつ説明して行きます。

完成度高い+強い
パウンドフォーパウンドと呼ばれるような王者に代表される優等生パターンです。チャンピオンクラスの選手は一度は通る道だと思います。

完成度低い+強い
これはよくあるケースです。恐れを知らないからこそ大胆な攻めができる。初期の青木真也が恐れを知らずに下から攻めれて極めれていたのがいい例です。

完成度高い+弱い
これもまたよくあります。完成度は高くて技術をよく知っているけれども怖さを知ってしまっているからこそ、攻めれずに結果が出ない。これは本当によくある。

完成度低い+弱い
これはもっと練習してくださいとしか言えません。ダメなやつ。

技術を知ってしまったが故に怖さを知ってしまう例は多々あるし、自分のキャリアを振り返っても、あの局面であの選択をできたと思うことだらけだし、格闘技を知れば知るほど過去の自分の完成度の低さと今にない大胆な攻めに恥ずかしさと羨ましさを同時に感じます。

今の自分と昔の自分。完成度が高いのは間違いなく今の自分です。
でも今の自分と昔の自分が試合をしたら勝つのは昔の自分かもしれない。昔の方が体力もあるし、打たれ弱くもなっていないし、何よりも恐れを知らないのです。過去は死体だと考えているから、言っても仕方がないし、羨ましく思うこともありません。どうでもいいと言っても過言ではないでしょう。

今の自分が自分史上で一番の完成度だと思っています。
格闘技はもちろんのこと、多くのことを経験して学んできました。格闘技だけでなく、格闘技以外のことをどれだけ懸命に生きたかが大事だと思っているからこそ、生きていけば生きていくほど完成度は増して行きます。だから試合の結果や少し上手くいかないくらいはどうってことないんだと自分に言い聞かせています。常に向上心を持って、結果に打ち拉がれることなく前向きに頑張って行きたいと思っています。結果とか強さだけを指標にしていたらやっていられないし、とっくにやめていますから。

イチローが引退会見で「野球の研究者でいたい」とコメントを出していて、共感したことを思い出したので下にコメントを貼り付けておきます。僕も格闘技や芸事を研究している気持ちだし、青木真也の物語を完成させていくことを何よりも大事に考えて生きています。

-試合に出られない寂しさは
 「これからでしょうね。もちろん、あると思いますよ。あると思いますけど、選手でいる間はもちろんですけど、僕の近くにいる人は、これが分かると思いますけど、僕は野球の、何て言ったらいいですかね、研究者でいたいというか、まあ、自分が今44歳でアスリートとして、この先、どうなっていくのか、というのを見てみたい。それはプレーしていなかったとしても、毎日鍛錬を重ねていくことでどうなれるのか、ということを見てみたいという興味が大きいので、それは変わらないと思うんですよね。それでチームと一緒に練習することもできるわけですから、それを続けられること、仮にこれで終わりだったとしても、僕、それを続けると思うんですよね。だから、なんか喪失感みたいなのは、実はないですよね」

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