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宇野薫の試合 僕たちは『いい人生を過ごしている』

ここ数年は宇野薫の試合をセコンドとして間近で見てきました。

セコンドとして間近で見させてもらうからこそ、毎回多くのことを教えてもらいました。先に生きる先輩に必死に生きるとは何かを自ら教えてもらえたことは青木真也として自らの道を生きていく財産になっています。言葉にすると軽く聞こえますが、大事で大好きな尊敬する人です。宇野薫に出会えたことに感謝しています。

2016年4月23日ぶりに宇野薫の試合を観客側で観ました。
解説席で観るのは2014年10月4日以来で2回目になります。

間近で見てきたからこそ見えていた部分。
間近で見てきたからこそ見えなかった部分。
どちらも経験しているからこそ見えるものがある。

試合に向けた練習。試合前に会場でご挨拶させてもらったとき。入場曲を聴いたとき。試合中。試合後。すべてが今までとは違う感情と見え方だった。これをどう表現していいのか、うまい言葉が見つからないのが悔しいのだけれども、彼がここ数年を通じてなんとか絞り出そうとしている言葉は皆が察していて、彼も僕たちもその言葉と必死に闘い続けてきたんだと思う。意味のある価値のある言葉にするために。宇野薫に望むものなど何一つないけれど、その一言だけは僕たちから言ってはいけないし、できるならばずっと言わないで言わせないでほしいと僕は思っていました。僕は彼のことが格闘人としても人としても好きなんだと思います。

宇野薫を知って20数年。宇野薫と試合をして10数年。彼の生き方に惚れ込んで彼とチームを組んで数年。自分の可能性を最大限使い切ろうとして一緒に足掻いてきた。僕たちはいい人生を過ごせていると思います。20数年前に雑誌で見ていた人と試合をして一緒に歩んで行けている。本当にいい人生を過ごせています。この幸運に感謝しないといけない。

いい人生を過ごせているのは宇野薫も僕も観客として見続けている皆さんも同じで、宇野薫のおかげで本当にいい人生を過ごさせてもらっていると思います。皆がいい人生を過ごせているからこそ、宇野薫の創る独特の空間にも繋がるのだろうし、誰にも真似できない表現であると思います。

まだ僕の気持ちが整理されていません。自分の感情に驚きを隠せずにいます。それでも宇野薫が試合を通じて表現してくれたメッセージだけは僕に刻み込まれています。目の前にあることを懸命に取り組めと。ただただ必死に取り組めと。宇野薫さんは今朝も走っているでしょう。走り出そう。話はそれからだ。走り出そう。今日も元気に頑張って行きます。

宇野さん。またがんばろう。
おれたちはファミリーだ。

仕事で大阪に向かうため待ち合わせ先の東京駅に向かう電車の車内にて。


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