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コツコツやってきたから自分を信じようと思える話

試合前も変わらない練習と食事と仕事。

試合前で練習の質が変わっていくから疲労度が増す。練習量は変わらないのにどうしてだと思う。不思議だ。それは試合前で気持ちが張り詰めていて練習と生活の密度が上がっているからだ。何事も気力が左右するのだと改めて感じる。

日常を切り取ったものが試合だと常々言っている。
日常の学びが格闘技に役立つ。その逆も然り。日常と競技は別物ではなく同じものだと僕は思っている。よって試合のために練習をすることはなく、試合の有無に関わらず日々練習をしている。僕にとっての練習は自己の練り直しであり、自分の軸だと思っていて疎かにすると自分が崩壊する。

日々をコツコツ積み上げるのはコンディショニングと位置付けている。
日々コツコツ積み上げていく中で自身との向き合いと練り直しができる。小さな変化に気がつける。練習や日々の取り組みは努力とか何かを成し遂げるためではなく自分と向き合っていく内省のものだ。それが結果的に何かを成し遂げる要因になるだけであって何かのために練習をするのではないような気がしている。

試合前も試合がない時期も自分に「何か」を問い続けてきた。
思い返せば柔道を始めてから30年。格闘技を通じて自分は何者なのかと問い続けてきた。静岡市で3番になって一家で喜んでいたところから気がついたらここまできた。日々を積み上げてきただけだから、夢を持ったことなどなく、憧れた桜庭和志やケンドーカシンと試合をして外から見たら夢が叶ったように見えるのだろうが夢など持ったことがないし、今も夢などない。

僕よりも才能がある人はたくさんいる。
でも僕よりもコツコツと芸事を続けられる人はいないはず。多くの人が現実を見て他の道に切り替えている。それはそれで賢いと思う。こっちときたら青木真也でいることと青木真也に価値をつけることを一番に生きてきた。戦績を誇るのは嫌いだけど何があってもコツコツと続けてきたことだけは誇りに思っている。

来週に試合なのだけど、コツコツやってきた生き方を問う。
何も変わらない。青木真也が守ってきた思想信念主義主張を世に問うだけ。ああ怖い。自らを賭して否定されるのはああ怖い。怖いからやる。これは精神安定剤だ。

ここまで順風満帆なわけではない。誰だってそうだ。
信じるためにコツコツやってきたのではなく、コツコツやってきたから信じられているだけ。今も揺らいでいるのが本当のところ。自分を信じたことなどないのかもしれなくて、信じようとしていただけだとも思うから、コツコツやることで信じるしかない。積み上げがよりどころなのである。今は自分を信じようと思えている積み上げのおかげで。

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