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「高校英語激闘編」エピローグ:お助け人の反省と決意

中1の1学期、アルファベット3文字程度の簡単な単語のつづりさえまったく覚えられない我が子に仰天した私は、とにかく書かせる、書いて覚えさせる、その一手で危機からの救出を試みた。
急場しのぎにすぎないことはわかっていた。しかし、そのうち何とかなると思っていた。本人に英語への興味が芽生えれば。英語を学ぶことで開ける世界の広さを知りさえすれば...

あれ? あれー?? 何ともならないぞ。何で?? 何で???

カイと英語の6年間を200字以内にまとめれば概ね以上のような感じである。

まず興味がなければ。

今振り返ると、そう固く信じ込んでいたことが私の最大の錯誤であった。

べつに間違いではないと思う。何であれ興味があればおもしろいし興味がなければつまらない。英語学習だって英語に興味があったほうがやる気になるに決まっている。

けれど、人にはそれぞれ向き不向きというものがある。生まれ育った日本国内ですら友達付き合いもせず、学校で毎年行われる研修旅行も苦痛でしかなく、家でお笑いのDVDを見ているのがいちばん幸せというカイにとって、英語ができれば外国の人とも話ができる! 未知の世界を知ることができる! なんて、勘弁してくれという話でしかないのは自明ではないか。

興味はない。しかし勉強はしなければならない。それが前提でなきゃいけなかったのだ。その前提のもと、打つ手を考えるべきだった。すなわち、「興味を持たせる」なんてお門違いな努力はさっさと放棄して、教えるプロ――塾でも家庭教師でも、通信講座でも――に託すということである。

タイミングとしては新中2、遅くとも新中3の春休み。
それまでは、家庭で教科書の新出単語や基本文を繰り返し書かせ、「文の終わりにはピリオド」「主語が I の時、be 動詞は am 」なんてことを倦まずたゆまず反復するのも一応アリだったかもしれない。でも、現在進行形(中1終盤)や関係代名詞(中3半ば)がわからない、となってきたらもうプロの手に委ねるのが絶対正解。
「まず興味がなければ」=「興味さえ持てば、わかるはず」という固定観念から離れられなかった私は、そのタイミングを見極めることができなかったのだ。

タイミングばかりか、カイに適した塾を見極めることもできなかった。どうやったら興味を持たせられるか、自らやる気になるための入口に導けるか、そういう観点でしか選ぼうとしていなかった。

最終的に、新高3春休みから受験まで通った大手の塾も、正直、あまりの商業主義が私の価値観とは相容れなかった。しかしカイは気に入っていた。自分のペースで受けられる映像授業というスタイルが向いていたのだ。
高2の秋以来チャレンジし続けた英検2級に、高3秋、4回目にして合格したのも、春以降本人に合う塾で学習を積み重ね、カイなりに力をつけていたからだと思う。私の価値観なぞまったくどうでもよかったのである。

う~ん、ごめんよ、カイ。
君の英語学習のお助け人になりたかったのに。思い返せば至らなかったことばっかりだ。むしろ全然興味がないのにここまでやった君は立派なものだ。褒めてやりたいと心から思っている。
ここから先にはもう、私がお助け人になれることはほとんど残っていないと思う。君の道をどんどん行ってほしい。私はうしろから、君の背中が見えなくなるまで、否、見えなくなっても、いつまでも応援しているつもりだ。
そしてこれからの人生、受験のためにがんばっている人を見たら、君だと思って応援するつもりだ。

* * *

かくてカイが大学に進学したのが2018年4月。
英語との激闘の軌跡を親の立場から振り返り、「中学英語激闘編」を書き始めたのが2019年4月。
そして今、「高校英語激闘編」のエピローグを書いているのが2020年10月。
この間に学生生活は一変した。

新型コロナウィルス感染対策のため、2020年度前期は開始が5月の連休明けにずれ込んだうえ、完全リモート授業。ガイダンスも健康診断も行われず、カイは1日もキャンパスへ足を運ぶことがなかった。
短い夏休みのあと、後期は一部対面授業が復活したものの、大半はリモート続行。カイも2週に1回、1コマだけ教室に集まるほかは、相変わらず家にこもってオンラインでの受講と課題提出に明け暮れている。

それでもカイは4年間のうち半分は通常の大学生活を経験できた。その毎日が、サークルにも入らず友達も作らず、飛ぶように帰ってきてお笑いの DVD を見るばかりという、中学・高校から何の代わり映えもしない日々だったとしてもだ。履修登録とか必修科目とか、「単位」という概念など、勝手がわかっていたからこそ突然のリモート授業にもどうにか対応できたのである。
初めからこのありさまだった今年の新入生がかわいそうでたまらない。

ましてや受験生の困惑はいかばかりか。
それでなくても、2020年をもってセンター試験が終わり、2021年は新しい共通テストの最初の年。二転三転する英語の民間試験活用問題に振り回された高校生も多かったと思う。
加えてコロナ。学校の授業は遅れる、夏休みは短縮、大学のオープンキャンパスもない。
受験本番の頃に感染拡大したらどうなるのか、晴れて合格してもリアル授業はあるのか、キャンパスの内外で新しい友達に出会えるのか。
感染の少ない地域から多い地域へ親もとを離れて進学する場合、そもそも引っ越せるのか、ひとたび引っ越したら帰省できなくなるんじゃないかという心配もあると思う。いまだかつて例のない未曾有の悩みばっかりだ。

それに比べればまったく大したことのない話だが、私は2019年1月から趣味で何度か受けていた TOEIC が中止になった。
もともとは、大学生になったカイが TOEIC にチャレンジするというので、どんなものか自分も知りたいと思い受け始めたもの。1回目は様子見にノー勉で受けてみて675点、それから2、3ヵ月おきのチャレンジで 760 → 805 → 795。なるほど、800点は気合を入れてかからないと超えられないものなのだなと悟り、しばらく勉強してまた受けようと思っていたこの3月、試験日のギリギリ10日前くらいに中止のお知らせが来たのである。

しょせん趣味だから、しゃーないで済んだものの、就職、昇進、海外派遣などをかけて受験に備えていた人には大損害だったと思う。
その後、4月も5月も6月も中止。9月に再開したものの感染対策のため定員制となり、先着順の申込受付はサーバーダウンで混乱をきわめたとの由。10月以降は抽選方式が実施されているが倍率5倍とも伝えられ、もう、趣味でしかない者は当分遠慮するつもりだ。
就活を控えたカイこそ、受験の権利を勝ち取るべく積極参戦すべきではと思うが、それも本人が考えることなので静観している。

しかしこうなってくると、TOEIC なぞ受けても受けなくても、コロナによる経済の落ち込みで就職戦線も大打撃ではないだろうか。

入学試験であれ、各種資格・検定試験であれ、はたまた採用試験であれ、およそ試験と名のつくものが、いつもどおりに、普通に行われているって何という幸せだったのだろう。

今ほど、ありとあらゆる試験にチャレンジしようとしている人を全力で応援したいと思ったことはない。
まさかこんな言葉で一連の激闘編を締めくくる時が来ようとは思わなかったが。
新天地を目指すみんなが心おきなくその扉を叩ける日が、どうかどうか一日も早く戻りますように。

「高校英語激闘編」おわり

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