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数学は実生活では役に立たないのか? 【2022.11.06.Sun.】西成活裕『東大の先生!文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!』

◇私的要約

数学は何のために勉強するのか?
日常生活で方程式を解くことなどはまずなく、ネットなどでは、『実生活では役に立たない』との声が踊っている。

数学の知識がなくても生きていけることは確かである。しかし、『実生活では役に立たない』という回答は、少々雑であると著者の西成活裕先生(東京大学先端科学技術研究センター教授)は本書の中で述べている。

それは、『役に立たない』と言っている人が『役立てられていない』だけで、数学を応用できる場面はたくさんあるからである。そもそも、数学の大きな目的の1つは、世の中の課題を解決することなのである。人間には、『ベストな方法はないか?』『もっと効率よくやりたい』などの欲求が必ずある。数学はそうした日常の『困りごと』をクリアするために進化してきたのである。

数学が日常生活で役に立たないと言っている人たちは、数学の知識やセンスを持っていないのではなく、『実生活の課題を、数学で解こうという発想が出てこない』のだ。それこそが、数学を役立てている人と役立てていない人の違いであり、唯一そこだけがネックとなっているのだ。

そもそも何のために数学はあるのか。
数学の起源を辿ると、『幾何学』つまり『図形』から数学は始まっていったと考えられる。
『どうしたら測れるか』『どうしたらつくれるか』測量や建築の切実な想いが数学の原点なのだろうと先生は述べる。『何かの長さ』『広さ』『体積』など、これらは感覚値ではなく、より正確な数値として把握する必要があった。数字を遣わずに感覚値で表現してしまうと、相手に正確なものを伝えることができない。それはつまり、『同じものを作れない』し、『見る人によって異なってくる』ということだ。数字を使えば、これを正確に伝えることができるようになる。『同じものを作れるようになる』という意味では再現性があり、『誰が見ても同じ』という意味では、客観性が出てくる。この客観性がポイントであり、客観的であるからこそ過去の人が考えた『法則』つまり『課題解決の手順』が代々受け継がれていき、数学という学問が発展し、そこからさまざまなテクノロジーに応用されていったのだ。

また、数学とは、『論理的思考力』を養うのに最適なのだが、そもそも『論理的思考力』とは何だろうか。本書には、『思考体力』という言葉が出てくる。
『思考体力』とは、
① 自己駆動力:思考のエンジン
② 多段思考力:思考のスタミナ=粘り強く考え続ける力
③ 疑い力:自分の判断や答えを疑う力
④ 大局力:物事全体を俯瞰して眺められる力
⑤ 場合分け力:複雑な課題で選択肢がたくさんあるときに正しく評価する力
⑥ ジャンプ力:閃き
と西成先生は分類している。これらの総合力でいわゆる『頭の良さ』が決まってくるということだ。数学においては、②の多段思考力が鍛えられる。多段思考力とは、『AならB、BならC、CならD・・・』と思考した結果をどんどん積み上げながら、答えが見つかるまで何段も諦めずに考え続ける力のことだ。これは『論理的思考力』に近いものである。『彼は理論的だ』というのは、『彼は論理の積み上げができる』という意味でもあるので、『論理的思考』ができる人というのは、『多段思考』ができる人だと言える。
そして、これらの思考体力は、満遍なく鍛える必要がある。今の世の中は人類が経験したことのない前代未聞の状況が続いている。こうした課題は、思考体力を総動員しないと解決できないのだ。

数学とは、このような思考体力を鍛えるための最適なツールである。
そして、この思考体力を鍛える数学というのは何も高校や大学で学ぶようなハイレベルなものではなく、一般的な社会人であればほぼ『中学レベル』の数学だけで十分なのである。
本書は、この中学レベルの数学を『代数(計算)』『解析(関数)』『幾何(図形)』の3パートに分け、5~6時間で学びなおせるように設計されたいわゆる『R16指定』の社会人のための数学学びなおしの書なのだ。

◇教育×読書


大学入試改革に伴い、数学においては活用(応用)というものにすごく力が入れられている。もともと数学は、現実世界の困りごとを解決するツールとして生まれたので、ある意味原点回帰したといっても良いのだろうが、これまで教育現場で扱われてきた数学というのは、現実世界とは距離を置いた、いわゆる『抽象的で美しい数学』ばかりだったわけで、私たち教育現場の人間にとっては正直に言ってしまえば戸惑いもかなりある。私たち教育者自身が、この実生活から離れた数学にしか触れてこなかったため、生徒たちだけではなく、私たち自身がこの応用数学に関しては教育現場で指導することも触れることも初体験なのである。
私自身、自身が持っている知識と現実世界を紐づけしていっているような感覚である。
幸いなことに、私には書斎倶楽部の仲間たちがいる。読書会などで数学の話が出てきた時に、問題提起してもらえるので、そこで自らの頭の中の整理と紐づけをさせてもらえている。実生活との関連性については、本書にも書かれてあったが、そこに数学を使おうと思うかどうかという部分が一番大きく影響すると思う。それは、常日頃から私たち自身が生徒に教えてやらないといけないことなのであろう。私たち塾講師は、これまでは入試という他人との競争に負けないための学力を生徒につけるために指導してきたのだが、その競争のステージが入試から一般社会へと一気に広がったような印象である。ただ単に入試を突破する力を養うのではなく、入試を突破できるほどの応用力を身につけることが、真の課題解決能力を身につけることにつながり、それこそがこれからの社会を生き抜いていく力になっていくのだろう。私たちの教えているものは、『生きていく力』そのものなのかもしれない。

◇私的感想


よく読書会では数学の本も紹介しますが、数学の本に関するnoteアウトプットはおそらく初めてですね。
この本の中には、私が日常でよく生徒たちにかける言葉がたくさん出ていて驚きました。もちろん、自分のオリジナルの言葉だと思っていたとかそんなおこがましい話ではなく、東大教授のような方と自分が同じような思考ができているのだということに対する純粋な驚きです。
昨今の世の中は、本当に先が見えません。子どもたちに数学を教える立場である私が彼らにできるのは、行き先を照らしてやることではなく、自分たちで道を切り拓いていく力をつけてやることでしかありません。そして、それを限られた時間の中でどのように効率よく伝えていくか。AIが普及し、これから頭を使わなくても生きていける時代が来てしまいます。そんな時代だからこそ、しっかり頭を使える人間を育てていきたい、それが私の想いです。頭を使わなかったら、人間がAIを使っているようで、AIに人間が使われることになるでしょう。そんな人生ではなく、ちゃんと自分の人生を生きてもらいたい、そんな大人になってもらいたい、と切に願っています。
私自身、教育者として、そして数学指導者としては至らないところがまだまだたくさんあります。それを気づかせてくれるのは、日々接している子どもたちと、そして書斎倶楽部のメンバーの皆さんです。教育現場はもちろんそうですが、書斎倶楽部の読書会の中での数学的やりとりは、私にとっては目から鱗が落ちることが多々あります。こうやって、私自身がまだまだ成長していけていることが本当にありがたいですね。ありがたい環境に身を置けているということへの感謝を忘れず、そしてそこで得たことはこれからの未来を生きていく生徒たちにしっかりと還元していきたいと改めて強く思いました。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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