そのルール、誰のためのものですか?

障がい者福祉のグループホームをやっていますが
当初からひとつだけ大事にしたいと
思っていることがあります

自由であるということ

福祉の施設では
共同生活ゆえに様々なルールがあるものです
しかし、我々の一般的な生活で
そんなに沢山のルールがあるでしょうか?
もちろん家庭ごとに暗黙のルールや
家訓的なものがあったりするでしょう

では、独り暮らしでは?
マンションや地域のゴミ出しのルールはあっても
自分で設定したルーティン的な決まりごと
なんとなくこうしたいなってこと
そんなことはふわっと思っていても
ルールとまでしてる人はいないのではないか
ルールがあってもその時その時で
かなりルーズに運用してるのではないでしょうか

福祉施設では
共同生活や集団行動を盾にルールを設定しがちです
支援者側の論理で支援者のためのルールが多い

わたしは支援者が楽をするためのルールは
いらないと思っています

うちのホームでは
ルールを極力廃止するかわりに
思いやりと気遣いを持ち寄って生活を創っていく
ということに重きを置いています

自由であるがために
自分で考え、自分で決めるということを
大事にしたいのです

彼らの多くは
家族や支援者がレールを引いて
ほんとの意味で自分で決めるということを
してこなかったがために

周囲のせいにしてしまいがちです

ふとしたときに
自分の人生じゃないみたいだ
と呟きたくなる人のなんと多いことか

自分の人生、自分で決めて、選んで
地に足つけて、自分で生きて欲しい

もちろん、枠組みを設定して
ルールがあった方が楽な人もいるので
ときおり酷なことを強いているのではないかと
感じることも多いです
稀に自由すぎてこわいと入院していく人がいます

なので

せめて選べるようにしたいのです

障がい者福祉のグループホームは
全国的に不足しています

国が精神科病床を減らすと明言して
地域で暮らす人が増える中で
独り暮らしは難しいという人が確実にいて
グループホームの需要は大きくなっています

でも、今は部屋が空いたら飛び付くように
入居が決まる人がほとんどで
ご本人が選べる状況にありません
我慢して生活してる人のなんと多いことか…

憲法で
仕事や住居、住所を選ぶ権利が認められている
この日本で、自由に選ぶことが出来ずにいる
不思議な状況の中

少しでも自由に
自分の人生に責任を持って
生きて欲しい

自由の中でしか味わえないことってあると思います
自分で決めて選ぶからこそ芽生える何かがきっと
そこにあるはずです

そのルール、誰のためのものですか?

現実問題として
どうしても設定しなければならないルールが
たまにあります

共用室、食堂を24時間開けとくわけにはいかず
深夜◯時までには自室に戻りましょうなんてこと
いくつかあります

もちろん入居者さんたちの体調を気遣っての
ものもあるのですが
それが支援する側の問題を解決するものの場合
わたしたちは入居者さんたちみんなに
お願いをします
例えば、夜勤者に少しでも仮眠を取らせるために
彼らの体調を気遣ってもらえないかと相談します

思いやりと気遣い

ルールなんかより大切なものがあるはずです

最近、精神医療の領域で
高EE家族。という言葉が言われてます

こうあるべき、こうあって欲しいがゆえに
ガミガミガミガミ厳しく言ってしまう
親御さんとの生活が
統合失調症の急性期症状を再発させてしまう
ことが多いことが分かってきたのです

これは施設に置き換えると
ルールがあるがゆえに職員は注意せざるを得ない
というところにたどり着きます

しかしルールを思いやりや気遣いに置き換えると
「ありがとう」の一言が
自然と聞こえてくるようになります

あえてルールではなくすることで
見えてくるものがあると思うのです

そのルール、誰のためのものですか?

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