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エッセイ「BLUE」


子供の頃は、とにかく青いものが好きだった。
青いスニーカーに紺色のパンツを履き淡い水色のTシャツをいつも着ていたし、さらにTシャツの胸には「ひえぇ〜ひえぇ〜」という涼しげな文字が青色でプリントまでされていた。

特撮ヒーローもみんな仮面ライダーが大好きだったが、僕の中で特撮ヒーローといえば宇宙刑事シャイダーであり、今思うとシャイダーという名前がもうすでに青そうである。
その後は仮面ライダーにもハマり、毎週欠かさず「仮面ライダーブラック」を観ていたが、一番好きだったのは仮面ライダーブラックが敵と戦う際に変身する、バイオライダーという青いボディーをしたキャラクターだった。

まだ僕が子供の頃は青色の食べ物なんてほとんどなかったのだが、それでもかき氷はいつもブルーハワイを選んでいたし、母親に「ジュースなにがいい?」と聞かれれば「青い色の炭酸」と答えていた。
かき氷に関してはハワイアンブルーと呼ぶ人もいるが、僕はやっぱりブルーが先にくる方が美味しく感じてしまう。
大人になりテレビで青い色をしたチーズやパスタが登場するのを見ると、ちゃんと気持ち悪いと思うが、今でも青色の液体を見ると、それがたとえ洗剤であっても美味しそうだなぁ〜と思ってしまう。

地球の絵を見るのも描くのも好きで、子供の頃は宇宙の図鑑を見ながら地球の絵ばかりを描いていた。あの漆黒の中に浮かぶ青が、僕はとても好きだったのだ。
保育園ではみんな恐竜や乗り物の絵を描いていたので僕はやはり不思議がられ、ある日母親に「いっつも地球の絵ばっかりかいてるんだって?」と聞かれたので、あまりいいことではないのだと思い恐竜の絵を描くようになった。
僕からすれば青色に塗った恐竜は地球みたいだと思ったし、当時みんなは「ZOIDS」(ゾイド)という、恐竜の姿で金属の体を持つメカ生命体のプラモデルで遊んでいたが、僕は兄もいないのに何故か超時空要塞マクロスという人型ロボットから戦闘機に変形する玩具で遊んでいて、そっちの方がよっぽど変ちゃうかなぁと自分で思っていた。
結局小学校三年生くらいまで、ずっとマクロスで遊び続けていた。

どうしてあんなにも青が好きだったのだろう。
青色には、知的、落ち着き、など静的なイメージがあり、鎮静作用まであるという。
実際に犯罪が多発する地域では、街灯を青色に変えることにより犯罪が激減するという現象まで起きている。
でも僕にとっての青はもっとわくわくする色だった。
空は青く続いて、海は青く広がっていた。それは地球という青い星で生きているんだと実感できるものだったし、青色を見ているだけで、僕は自分が何処までも行けるような気がしていた。
僕にとって青色は希望の象徴だったのだ。

そう考えると、子供の頃ほど青色に執着しなくなったことが少し寂しくも感じられる。
青色の服なんて、よっぽどデザインが気に入らなければ買わなくなった。
何処までも青く続いていたはずの僕の未来は、歳を重ねるごとに狭くなり途切れかけているのかもしれない。
僕にはもう希望などなくなってしまったのだろうか。

そう思うとなんだか急に疲れてしまって、ソファーに背中を埋めた。
埋めたソファーの色は、ターコイズブルーだった。
気分転換に顔を洗う為、メガネを仕舞おうと拾い上げたメガネケースも青かったし、洗面所に行くと、昨日湯船に張ったお湯がバスクリンで青く染められていた。
コンタクトを装着し、少しでも日の光を浴びようと靴を履くと、目の前には群青色した玄関のドアが僕を待っていた。

いや、あんま意識してなかったけどまだめっちゃ青好きやん。
自然と生活に青色を取り入れてもうてるやん。
まだまだ諦めてへんなぁ〜と可笑しくて、センチメンタルになりかけていた自分がちょっとだけ恥ずかしかった。



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