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有終の美を作りたい

日本のサッカーは6-3-3でぶつ切りで継続性がないという話がある。これは小学校、中学校、高校という学校生活の変化に伴って指導やチームで区切りが生じるためと解釈していた。

しかし、先日の全少予選で敗退したときに感じたことは少し違った。チームの代表の言葉や保護者の会話、そして自分がいつもする保護者への挨拶ですら、区切りが出来ていた。選手達も同じようであった。当然、いつものように悔しさを滲ませながら涙を流す選手もいれば、周囲からかけられる言葉から感じるものがあったのかすっきりした顔の選手も少なからずいた。

この時期になると、次の行き先が決まっている選手がいる。クラブチームや中体連でのサッカーの継続を決めている子もいれば、特に決めてない子、サッカーはもういいかなと思っている子もいる。一般的な少年団なんかだと、選手のサッカーに対する熱量の差は大きいし、親御さんの力の入れようも様々である。なかなかに大変なジュニアサッカーも6年生のここまででやればなんとか終わり、そう思っている選手も保護者も多い。コーチ陣も来年のチーム作りにシフトしていく。もう次へ意識がうつっていくのだ。

トーナメント制の大会の是非なんて議論をする気はないが、やはり区切りをつけやすい形式だと思う。本戦で優勝しない限りはいつかは負ける。地区予選の一回戦負けでも全国の決勝でも、最高学年の大会で負けたら終わりなのだ。ほとんどのチーム、選手は負けて終わる。頑張った、やってきてよかった。そんな風に考えないと報われないという意識が芽生えるのは仕方がない。

違う。一日開催のカップ戦でも、地区、都道府県、全国とつながる公式戦でもやっていることはサッカーだ。有終の美を求める必要はない。今日の試合の結果を次にどう繋げるのか、それが大事なのだ。「最後の大会」という言葉が大きすぎる。システムが作り出した最後なのであって、最後ではない。

一方で、終わりのないマラソンほど辛いものはないというのもよくわかる。サッカーに限らず、高校年代の部活が一番辛かったという台詞はプロスポーツ選手やオリンピアンのような日本代表からでも聞く言葉だ。3年間だと思うからこそ頑張れたと。保護者もそうだろう。中学校までやれば高校は勉強に専念してくれるだろう、大学にいけば競技からは身を引くするだろう。区切られた時間だからこそ我慢している、という家庭は数多いと思う。選手のほとんどは競技者としてご飯を食べて行くのは難しい。大人に近付けば近づくほど、いつかは辞めるべきという意識が働く。それが、6-3-3の区切りだ。

区切りをつけると、燃え尽きたくなる。あしたのジョーの世界だ。ここまでやれば十分、頑張った。もう思い残すことはない。そんなのは老後にでもやればいいと思う。

燃え尽きるほどやる必要があるだろうか。サッカーは生涯スポーツを目指してるのではないのか。大人は子供たちに頑張ったという気持ちを持ってもらいたいのだろう。

頑張った経験を活かして、次に繋げてほしい。

そんなのは戯言だ。大人になれば、頑張ったで済むことは少ない。頑張り続ける必要がある。もちろん、節目節目はある。あの仕事は頑張ったよね、そんな気持ちを持つのは決して悪くはない。

たかがサッカーの、まだ小学生である。もちろん、すでに高みへの階段を上がりはじめている選手がいるのは知っている。しかし、多くの選手にとって球蹴りがサッカーとして始まったかもわからないし、ここで終わる必要は欠片もないのだ。

他へ興味がうつればそれもいい、サッカーが楽しければそれもいい。勉強にハマればそれもいい。

有終の美を作る必要はない。真っ白になる必要はない。


あとがき

実際、子供たちがどう思ってるかはわかりません。ただ、大人達の雰囲気を少なからず感じ取ってる子供はいると思います。今までも6年生を見送ってきたけど、今年やたらとこう思ったのは自分の子がいる学年だからか少し感傷的になってる部分があるのかもしれません。一方で、コロナ禍になって久しぶりにそれなりにまともに活動出来た学年だからこそ、というのもあります。昨年なんかほとんど活動出来ずに終わり、むしろ物足りない雰囲気だったように記憶してます。

別に日本のシステムが悪いとか、そんなことを言うつもりはまったくないんです。ただ、6-3-3の区切りでサッカー辞めちゃうってのは、こういった側面もあるなかな、と思った次第でした。


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