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エイブラハムをかじっただけの男と弟子 その37 行動について

前回のあらすじ
こんにちは、ソラです。前回は先生が舟の話をしていました。
オールを手放してしまって、下流に流されたという話です。
では続きをどうぞ。

エス太 :いや、それただのマヌケの話に聞こえん?大丈夫?
ただ舟に乗ってて間違ってオールを手放してしまったから、下流に流されました~的なとらえられ方したらややこしいけど大丈夫?
オールという名の「努力」を手放した方が抵抗なく夢が叶うよ~って話をしてたんだけど。

ソ ラ :やだな~。大丈夫でしょ。

エス太 :いやいや、全然だいじょばないと思うよ~。あらすじ、相変わらず下手だわ~。嫌いだわ~。

ソ ラ :そんなに言うなら、次は先生があらすじを話してくださいよ。

エス太 :いや、全然いいよ。余裕だっつ~の。

ソ ラ :お手並み拝見です。ところで、今回は何の話ですか?

エス太 :今回は行動について話をしたいと思う。
前回も言ったけど、エイブラハムは行動すること自体はいいことだと言っているんだ。
ただし、その行動にはパターンがあることを覚えておいてほしい。

ソ ラ :行動のパターンですか?

エス太 :そうだ。1つ目が「モチベーションからの行動」、そして2つ目が「インスピレーションからの行動」だ。

ソ ラ :どういうことでしょう?

エス太 :まず1つ目の「モチベーションによる行動」、これは努力による行動のことだ。
努力によって、何かを解決したり、夢や望みを叶えようとする行動のことを言っている。
そして、この「モチベーションによる行動」をエイブラハムはおすすめしていない。

ソ ラ :なるほど。これは上流に向かってオールをこいでいることになるんですね。
エイブラハムは努力をすすめてなかったですもんね。

エス太 :そうだ。そして、2つ目が「インスピレーションによる行動」、これは直感に従って行動するという感じだ。
エイブラハムがおすすめする行動はこの「インスピレーションによる行動」のことだ。
この直感こそが、まさしく内なる自分の声であることを知っていてほしい。

ソ ラ :直感は内なる自分の声・・・。

エス太 :そう。直感による行動と言っても、そんな人生を変える程の大それた行動ばかりじゃない。
例えば、「あ、あそこのコンビニに行ってみよう」とか「あ、今水を飲んでみよう」とか、そんなレベルのものが多かったりする。
でもな、その内なる自分の声に従った行動が、時に大きなきっかけになったりもするんだ。
直感に従って、行ってみたコンビニで出会いがあったとか、たまたま昔の友人に会ったとか、本棚の本を手に取ってみたら心打たれることが書いてあったとか。
その先で何が起こるかは内なる自分にしかわからない。
そこで起こることは、ほんの小さな喜びだけかもしれない。
でもな、その声に従っていると時に大きな出会いや、素敵な出来事が起きて人生が変わることだってありえるんだ。
この、意味のある偶然の出来事を「シンクロニシティ」と言ったりもする。

ソ ラ :シンクロニシティ・・・直感に従った行動が人生を変えることもあるんですね。

エス太 :そして、その内なる自分の声、つまり直感をより聞きやすくする方法が、気分よくいることなんだ。
感情のスケールの上に上がれば上がる程、内なる自分の声はよりわかりやすく聞こえてくる。
時にはそうしたくてたまらないという、「衝動」が起きたりする。
その衝動に従うこと、それを行動に移していくことが、エイブラハムのおすすめする行動なんだ。

ソ ラ :なるほど。直感に従わなければその声は聞こえなくなるのでしょうか?

エス太 :内なる自分の正体は無条件の愛だ。直感に従わなかったからといって、見放すことは決してしない。
そこから、もっとわかりやすい形で、何度も何度も直感を送ってくる。
もちろん俺たちはその直感に従わないこともできる。
でもな、このことを知ったソラは、これからこの「直感」という内なる自分の声にできるだけ従ってみてほしい。

ソ ラ :わかりました。これからできるだけ直感に従って行動してみます。

エス太 :日々をできるだけ気分よく過ごす。時に直感があれば、それを行動に移す。それこそが、最も簡単な喜びへの道だ。

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