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エイブラハムをかじっただけの男と弟子 その79 愛を探す場所

ソ ラ :先生、ソースはどんな願いでも叶えてくれるんですよね?

エス太 :あぁ、そうだな。俺たちが願えば、それは与えられるよ。

ソ ラ :そこで質問なんですが、世間ではあまりよくないとされるような願いでも、ソースは叶えてくれるのでしょうか?

エス太 :例えば、どんなだ?

ソ ラ :例えばですね〜。愛するパートナーがいながら、他のたくさんの人を愛していたいとか、愛されたい、モテたいというような願いがある場合、このような願いさえも叶えてくれますか?

エス太 :お前・・・そもそも愛するパートナーがいないだろ。

ソ ラ :例えばの話ですよ!そこツッコミます!?その傷えぐります!?

エス太 :まぁまぁまぁ、冗談だよ。

ソ ラ :こういう願いや望みを持つこと自体、世間では悪いこととされているじゃないですか。
煩悩と言ったりもしますよね。

エス太 :まぁ、お前は煩悩が109個くらいありそうだからな〜。

ソ ラ :誰が煩悩の塊だよっ!!ただいま煩悩増量中!やかましぃわっ!!

エス太 :エイブラハムは何かを求めることが、悪いことだなんて言っていないよ。なぜなら、俺たちは何かを求め、そしてそれを叶えること、その過程を楽しむために生まれてきたんだからな。
望むことは素晴らしいことなんだぜ。
ソースはな、この望みはよくて、この望みは悪いなんていうジャッジはしない。煩悩なんて言葉は人間が作り出した言葉、概念なんだ。

ソ ラ :それじゃぁ、そういった望みもソースは叶えてくれるんですね?

エス太 :ただ・・・

ソ ラ :ただ?

エス太 :この話には重要なポイントが2つある。
1つは、愛を探す場所について。
もう1つは、そう願う人が何を信じ、どんな概念を持っているのかについてだ。

ソ ラ :詳しく教えてください。

エス太 :まず、1つ目の、愛を探す場所について話そうか。例えば、多くの人がモテたいと思うのはなぜだと思う?

ソ ラ :そりゃぁ、誰かに好きになってもらうのは嬉しいからじゃないでしょうか。

エス太 :そうだな。だけど、実はその根本にある大きな理由は、自分に価値があると感じたいからなんだよ。

ソ ラ :言われてみたらそうかもしれません。

エス太 :でもな、誰かに価値を与えてもらいたい、愛してほしいという願いは、自分の価値を外側の何かから埋めたいという不足感からくる場合が多いんだ。

ソ ラ :なるほど。

エス太 :それは、愛を探す場所を間違えているんだ。

ソ ラ :愛を探す場所ですか?

エス太 :いいか、お前はもうすでに愛されてる。それも、ものすごく大きな愛だ。
それは、お前の内側にずっと、絶え間なく存在し続けているんだ。
そして、お前には無限の価値がある。
これ以上与えられない程の価値だ。
愛は外側にはない、いつも自分自身の内側にある。
そのことに気づくことが大切なんだ。

ソ ラ :でも、どうやったらそれを、その愛を感じられるのでしょうか?

エス太 :カフェオレを飲んでホッとしろ。
空を見ろ。鳥のさえずりに耳を傾けろ。ただボーっと海を眺めろ。好きな音楽を聴け。猫を撫でろ。足湯に浸かってのんびりしろ。

ソ ラ :全部、僕が安らぐことばかりだ。

エス太 :そうして、気分のよさを感じている時、ソースとの繋がりや、ソースからの愛を感じられるはずだ。
自分の価値に気づき、自分の内側にある愛に気づけると、周りから愛を与えてほしいという心の声は少しずつ小さくなっていくだろうよ。
なぜなら、自分は存在しているだけで素晴らしいんだと思い出し、周りから与えられる評価なんて関係なく内側から満たされた状態になるからだ。

ソ ラ :愛を探す場所・・・ですか。僕も内側に愛を感じることができますかね?

エス太 :大丈夫。できるよ。まずは自分に優しくすることから始めてみるといい。
愛を外側に求めている間は不足感にフォーカスしてしまっているから、その状態で満足感を感じることは難しいんだ。

ソ ラ :ほぇ〜〜。なるほど。

エス太 :そして、もう1つのポイントである、そう願う人が何を信じ、どんな概念を持っているのかについてだが、それは次回に話そう。

ソ ラ :わかりました。

つづく

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