社会は朝型の人間に有利なシステムになっている
noteの投稿時間を見れば一目瞭然、わたしは夜型人間である。
子供の頃から夜更かしが好きで朝起きるのが苦手だった。中学の頃(不登校)は寝たいときに寝て起きたいときに起きてたのでしょっちゅう昼夜逆転して、高校は定時制の午後コースでなんとかリズムを取り戻し(ただし寝るために月一で休んだ)、大学は1限のために5時起きしたり徹夜でゲームしたりでまたぐちゃぐちゃになり、9時始業18時定時の会社に勤める今はメンタルの不調を理由に午後からの時短勤務をしている。
とかくこの世は朝型に有利だ。
早起きは三文の得とかいう言葉もあるくらいだし、早寝早起きは良いことだという風潮がある。最近は朝活とか。
一方夜型は、夜更かしをして朝起きれない怠惰な人間だと見なされる。
たとえ朝型と同じ睡眠時間だったとしてもだ。(ショートスリーパー・ロングスリーパーの差別もあるが、ここでは措く)
朝型・夜型(クロノタイプ)は、遺伝子や環境によって決まるという研究結果もあり、個人差が大きい。「朝型になおす」などと銘打って早起きのコツを紹介する記事なども散見されるが、わたしはある程度慣れることはできても根本的に朝型・夜型を変えることは難しいと思っている。
学校や多くの企業は朝に始まって夕方に終わる。
そのリズムに適応できない人間は、その組織から排除される。能力ややる気があったとしても、クロノタイプがそぐわないだけで落ちこぼれ・怠け者の烙印を押されてしまうのだ。
夜型人間が無理やり朝型の企業に合わせると、作業効率に支障が出る。もっと自分の自由な時間に出勤できたら、もっと生産性が上がって評価されるのではないかという思いが拭えない。フレックスタイム制とは言っているが、コアタイムが10時〜なのであんまり変わらない。というか前は11時〜だった気がするのになぜか退化した。不思議。
視力が悪い人は、メガネやコンタクトで社会に適応する。
歩けない人は、車椅子とそれに対応する施設やサービスで社会に適応する。それが不十分な社会において、はじめて「障害」となる。歩けないことが障害なのではなく、歩けない人と社会との間にある壁が「障害」なのである。完全にバリアフリーな世界では、車椅子に乗る人は「障害者」にはならない。
朝型の学校・企業と、夜型の人間との間に壁があることは明白である。
朝型・夜型は障害でも病気でもなく、個人の特性である。最近では、脳や神経の多様性を尊重するニューロダイバーシティという考え方もあり、クロノタイプもそこに包摂されると推測する。
子どもが夜型であるだけで、学校に行くのが苦痛だったり、不登校やその他のトラブルのリスクになりうる。
高校は定時制や通信制、大学は夜間部や通信課程、放送大学などの選択肢もあるが、小学校・中学校では寡聞にしてそういった例を知らない。
企業において、人間のほうを制度に合わせることから得られる利益は、制度に合わない人間を振り落とす損失よりも、多いのだろうか。
どこの業界でも人手不足が叫ばれる昨今、「全員朝に出社して夕方終わる」という常識を、疑ってみる必要があるのではないか。