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🅂1 働いお自立する

「A little dough」 第章 働いお自立する 🅂1

 ã€€ç¬¬ïŒ’章では、ラむフ・デザむンやファむナンシャル・プランに぀いお怜蚎ししおきたしたが、第章では「働いお自立する」ずいうテヌマを考えおいきたす。第章で怜蚎した私たちのラむフデザむンにおいお、ずおも重芁な郚分です。なぜなら「働く」ずいう郚分に、「私たちの人生の倧半の時間を䜿う」ずいう珟実があるからです。

➀成幎ずなり、瀟䌚人ずなり、䞀人前の倧人になる
 未成幎が成幎になるず、契玄の締結などの民法䞊の暩利を本人の意思のみで行䜿できるようになりたす。民法の改正により18歳以䞊が成幎になったわけですが、䞀方ではその契玄行為における責任が本人のみに付いお回るずいうこずにもなりたす。成幎ずしお契玄行為に぀いお責任を持぀ずいうこずは、自身の矩務債務に぀いお責任を持぀ずいうこずになり、これを実質的に担保できるのは「経枈的な自立」ずいうこずになりたす。そしおその為には通垞、「仕事を持っお働く」ずいうこずが必芁です。
 法埋䞊の成幎であるこず、そしお働いお経枈的自立を果たしおいるこず、この二぀の条件が揃うず晎れお「䞀人前の倧人」ずいえそうな気がしおきたす。

➀「経枈的な自立」の栞ずなる「劎働」
 さお経枈的な自立ずは「働いお収入を埗、その範囲内で生掻しおいくこず」ずひずたず定矩しようず思いたすが、自立ですから他者に頌らず収支管理ができおいるこずがポむントです。仮に奚孊金などの借り入れがあったずしおも、契玄通りに返枈できおいればかたいたせん。そしおその自立の栞ずなるのが䞀般的には「劎働」ずいうこずになりたす。「劎働」は収入を生み、※「生掻」はその収入を支出ずいう圢に倉えお、劎働のための゚ネルギヌを䜜り出したす。こうした埪環が安定的に継続するこずで、経枈的な基盀は盀石なものになっおいきたす。※ここでは「生掻」を劎働以倖のこずに限定しおいたす。

 ずころでそうはいっおも、働く時間は通垞䞀日時間、忙しくなれば残業蟌みで12時間に及ぶこずもありたすし、通勀時間などを勘案すればさらにプラス2時間ずいう具合です。実際仕事以倖での付き合いも倚く、そうした拘束時間たで含めるず、経枈的自立が倧事ずはいうものの、毎日の食事ず䜏たいのための劎働ずしおは、過剰感が吊めたせん。
 こうした時間的制玄を考慮するず、珟代瀟䌚ずいうのは、経枈的自立の以䞊の䜕かを劎働に求めるように仕向けられおいる、ずいう気がしおしたいたす。いずれにしおも劎働には、
①衣食䜏を満たし瀟䌚の䞀員ずしおの「生掻基盀を支える劎働」ず、
②それ以䞊の「αの劎働」がある、ず私は考えおいたす。

➀マズロヌの段階の欲求で考えるず 
 そこで、この劎働の二぀の分類に぀いお、序章のコラムでも玹介したマズロヌの欲求階局論で考えおみたいず思いたす。

 マズロヌの段階の欲求の第段階「生理的欲求」ず第段階「安党の欲求」に぀いおは、日々の生掻や安心・安定を埗るための欲求を満たす費甚、぀たりほが生掻基盀を支える郚分ず考えおよさそうです。
 次に第段階の「所属ず愛の欲求」になるず、䞀埋に決めおしたうのは難しいかもしれたせん。ただ個人的には「所属ず愛の欲求」は、家族や友人・仕事の仲間たちずの瀟䌚的コミュニケヌションを圢成し維持しおいくものず考えられ、皋床の差こそあれ私たち人間の日垞掻動に䞍可欠な芁玠ず考えるこずができるず思いたす。
 そしお第段階の「承認尊重の欲求」は、「自己に察する評䟡、自尊心、他者からの承認」ずいうこずですから、これはむしろ自己実珟の前段階的なレベル感がありたす。自分自身の個性や考え方を尊重するこずは根っこの郚分ずしお重芁ですが、その結果ずしお自他の承認たで求めおいくずなるず、生掻基盀を支えるものずいうより、これを超えお自己実珟に぀なげおいくような氎準ずいえたす。
 たた第段階の自己実珟の欲求ずなるず、これは明確に生掻基盀を支えるものずは䞀線を匕いお考えるべきだず思いたす。

・マズロヌの段階の欲求
第段階生理的欲求生呜維持のための欲求
第段階安党の欲求身䜓の安党、身分の安定、他人ぞの䟝存 第段階所属ず愛の欲求家族、友人、恋人、同僚 
第段階承認の欲求自己評䟡、他瀟評䟡
第段階自己実珟の欲求人が朜圚的に持っおいるものを開花させ、自分がなりうるすべおのものになるこず、より䞀局自分であろうずする欲求

「A little dough」 序章 ゞャングルで暮らす5人より

➀生掻基盀を支える劎働はマズロヌの欲求の第3段階たで
 結論ずしおは、マズロヌの欲求の第段階から第段階たでが生掻基盀を支える劎働ず考え、これを「経枈的自立のための劎働」ず考えたす。そしお第段階以䞊はαの劎働、぀たり経枈的自立のための劎働ではなく、本来「自分自身が自己の刀断で玍埗しお行う劎働」ず考えるのが劥圓だず思いたす。「本来」ず曞いたのは、珟実には玍埗しおいない堎合もあるからですが、そういう劎働は少なくおも䞭期的にはなくしおいくべき劎働です。自分が奜きでやっおいるはずの劎働に玍埗感がないのであれば、そういう劎働はやめおそれに䌎う䞍利益も匕き受けるか、仮に続けるのであればその意味を明確にする必芁がありたす。仕事での凊遇をずるのか、貎重な人生の時間をもっず有意矩に䜿うのか、私たちはこうした重芁な遞択に背を向けおしたいがちです。「人生が時間」であるずいう事実を考えれば、この問題は䞀生向き合い続けおいく䟡倀のあるこずだず思いたす。

 実際の䌚瀟での仕事は、簡単に線匕きしたり割り切れたりするものではありたせん。それでもあえお「経枈的自立のための劎働」ず「α郚分の劎働」ずいう前提を明確にしおおく理由は「働くこずが100生掻のため」ずいう思い蟌みを捚おるためです。こうした思い蟌みを持぀ず、倧きな倱敗や壁にぶ぀かった時に、本来の自分の倢や垌望に立ち返らずに、自分以倖の家族や生掻にその原因を求めるような、逞脱した思考に走りがちです。
 たた仮に党おが生掻基盀を支えるための劎働であったずしおも、それは私自身の䟡倀芳の䞭に含たれる独立心から生たれたものですから、これに向き合えるように敎理しおおく必芁があるのです。

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