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地位財の正体とは…

▽先日、ロバート・H・フランクの「地位財」と「非地位財」という言葉を紹介しました。「地位財」とは、他人との比較優位によって価値を感じるもの、例えば 所得・社会的地位・車・家・高級ブランド品などをいいます。比較優位によって感じる価値とは、持っていることで優越感を感じ易いということだと思います。一方、非地位財とは、他人が持っているかどうかとは関係なく、それ自体の価値にのみ喜びを得ることができるもの、休暇・愛情・健康・自由・自主性・社会への 帰属意識・良質な環境などをいいます。

▽アドラーの言葉に、「健全な優越性」と「不健全な優越性」という言葉があります。前者は、過去の自分との比較ですが、後者は他人との比較において自分の優れている点に固執する状態とされています。要は、「単に負けず嫌いで見栄っ張りな性格」と言い換えてもよさそうです。私たちの中に内在しているこういう性格に引っ張られて、本当はそれほど欲しくもないものまで、無意識のうちに買わされている、そしてその結果、もっと重要な非地位財である愛情・健康・自主性などに使うお金が無くなってしまっている、とフランクは言います。

▽地位財として例示したもののうち、所得・車・家・ブランド品などはどれも金銭的価値の比較が容易に可能です。また社会的地位は、金銭的価値はともかく、「大統領や社長はえらい」といった表面的な価値による判断は比較的簡単です。もちろんそれは、本来の価値とは言い切れず、側面的価値にすぎません。ただ、簡単に比較できるために、私たちは心の中で自動的に「比較優位」を認識し、優越感に浸ってしまうのです。優越感はとても気持ちがいいものなのです。

▽さて、このような地位財が地位財として私たちの心に入り込む時、その正体は単に「勝ち負け」でしかありません。それ以外大した意味はないのです。もし、フランクが言う地位財として何かを購入して「勝ち」を感じた場合、私たちは一瞬の幸福感(=優越感)に満たされるでしょう。もし「負け」と感じた場合、購入した言い訳探しにしばらく苦しんだ末、最後に無駄なものを買ってしまったという現実を認めることになるのです。

▽フランクは、貧富の差の拡大によって富裕層が地位財を際限なく保有し始めると、これは川下(中産階級以下)に流れ落ちてくるといっています。富裕層が10坪ほど広い家に住み始めると、その下流でも1坪か2坪ほど広い土地を買わされるということのようです。結果としては、所得が増えてもなかなか余裕はできず、相変わらずモノとカネに追い掛け回される生活が続いてしまう、という悲惨な状況が待っています。




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