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「つくる」ということ

セミの声で目が覚めた日曜の朝。
自分が立ち止まっていたとしても、確実に季節は移ろうのだ。
ダニエル・コラン爺さんのパリ・ミュゼットを聴きながら、ちょっとした遠出。

4年ほど前の夏によく聞いていたアルバム。音を聞いた途端にいっぺんにその頃の記憶が蘇る。昔練習した振付を思い出して動いてみると、その当時の記憶が蘇ることもよくある。音楽も振付も前頭葉をつかっているようだから、きっとそういった記憶というものは前頭葉に残っているのだろう。
(だいぶ適当なこといってます。さらっと流してください。)

大体のことは白でも黒でもない曖昧なことばかりで成り立っているのに、勝手に白黒つけようとして勝手に痛い思いをしたり。すべてが、なんて退屈なんだろう。しかしなぜ、こんなになつかしいのだろう。


作品をつくるときに、いろいろとアイデアを出したり、文章を書いたりするところから始めることはよくあることだとおもうけど、「つくる」という過程のなかで、「アイデア」が占める割合はほんの1割くらいだということだ。残りの9割は、そのアイデアを形にしていく地道な作業。

もちろん、それ以外の部分は0から始まるわけではなく、その人が生まれてから今までにやってきたこと、学んできたことの中から出てくることが多いのだから、始まった時点でもう半分くらいできているということもある。

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2020.07.24/26に開催されたオンライン・ストリーミング・パフォーマンス"invasion"のために書いた記事です。

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