ダイアローグ・パラノイア
一つ質問をしよう。
「あなたが『現在も』連絡を取り合っている友人は何人いるか?」
私はLINEの個人チャットが大の苦手である。
相手の求める反応を考察するのに大変苦労を要するからだ。馬鹿じゃないのかと自分でも思う。だが、これは相手がどうこうではなく私自身の問題なのである。
私の中の「善く在りたい」という気持ちは、ドグマを超えて一種のスティグマへと変容する。
納得のいく返信が思い付かないとき、相手から出された話題を一度は飲み込むが、その返信で正解なのか、長続きするのか分からないのである。
私はしばしば黒山羊になる。
良い返信が思い付かない時の常套手段がある。相手に疑問形で返信を行うのだ。
しかしそんな姑息なマネには限界がある。
そんな時、自然な対応としてはスタンプを送信するというものも考えられる。しかし私からするとそれは会話の終止符を打つ 最後通牒である。
やがて万策尽いて億劫になると、最後には手紙を読まなくなるという悪癖だけが残った。
高校時代の定期考査最終日、私は仲の良かった友人に呼び止められた。
「オープンキャンパスどうしたいの?」
あまりに突然の出来事に私は聞き直した。
すると彼女は「帰ったらLINE見てよ」とだけ残し、自身の友人と他の教室へ去っていった。
私は帰宅し、LINEを開く。
グループやら何やらの通知で溢れている。
その中には彼女からのメッセージも含まれていた。
「○○のオープンキャンパス、誰かと行く予定ある?」
4日前のことである。
彼女は痺れを切らして私の元に直接訪ねてきたのである。考えうる限りの様々な葛藤があったことだろう。
ひどいことをしてしまった。
私は罪悪感からどうにもできず、古びたメッセージに手垢をつけてそのままにした。
投了である。
しかし、このまま何もなく同じ教室という空間にいるのは気まずい。
謝罪した上で改めて私から誘い直そうと決心した。
後日、私と彼女はそれぞれ別の友人と大学へと向かった。
以来、私はLINEも必ず1日1回は確認することにしている。これは懺悔である。
しかもかなり前と比べて楽だ。不規則に返信を思い悩む必要はないし、不義理も引き起こさない。
そのスタイル特有の悩みもある。
1日1回の返信であるならば、会話のラリーでは当然パワーショットを要求される。
隔日でしかやり取りが叶わない相手の返信が物足りなかったら、会話を続けようとは思わないからだ。
健全なLINEって何だろうか。
そんなことを模索しながら対話と向き合った結果、今でもLINEを送りあうのは2人だけになってしまった。
高校の帰り道の電車内、ある広告が目に入ったのを憶えている。
「対人関係に悩む必要はない。たぶん、そいつ今頃パフェ食べてるよ。」
そんなダイアローグの苦心から逃れるべく、私はここで独りパフェを食べている。
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