カズユスキー2世

🌟脱・毒親の戦士🌟 毒親に育てられ、ネガティヴ思考と自殺願望に悩んだ過去。そこから這い…

カズユスキー2世

🌟脱・毒親の戦士🌟 毒親に育てられ、ネガティヴ思考と自殺願望に悩んだ過去。そこから這い上がった経験を活かし、毒親問題を考察📝 毒親トラウマに苦しむ人へ向けた記事を提供💪 一緒に光を探しましょう✨ #毒親 #トラウマ克服 #脱毒親

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美術館では行列を作るな!という話

「ゴッホと静物画」という展示会が、SOMPO美術館でやっている(2023.11.18 現在) ゴッホの魅力を伝える素晴らしい展示だった。感動した。燻製のニシン良かった。 しかし、一方で非常にムカつく現象に出会った。 作品の前に行列になって、皆がちょっとずつ進みながら芸術鑑賞していくという作法だ。 これは美術館のルールではないが、行列ができているその美術館のその場の雰囲気的には、暗黙の了解的なマナーになっている。 しかし行列を作るのは非常に効率が悪い。 列を作ると、人が詰

    • 感情と思考のバランスについての考察

      感情は私たちに深く根ざしていますが、それが常に良い影響を与えるとは限りません。 長い間、私は感情が思考を鈍らせ、事実を客観的に見ることを妨げると考え、感情に支配されないよう意識してきました。 しかし、最近感覚的な知識や肉体的な領域の知識も重要であることに気づきました。論理的思考だけでは人間の経験を完全には理解できないためです。 例えば、芸術作品や音楽を体験する際、感覚的な理解が深い感動を生み出すことがあります。 視覚や聴覚などの非言語情報は、完全な言語化は難しいです。

      • 美術館で写真撮影の賛否

        国立新美術館のテート美術館展にいった。 写真撮影OKだったので、みな写真を撮りながら鑑賞していた。 すると近くのお兄さんが(多分わざと)周囲に聞こえるくらいの音量で言った。 「みんな写真撮るのに夢中で、それが目的になっているじゃん」 おそらく彼は「絵は鑑賞するのが目的だから、写真をとることに夢中で鑑賞がないがしろになっている」と批判したかったのだろう。 まぁ気持ちは分かる。 もし仮に同行者が写真ばっか撮って、ぜんぜん直接、絵を見てなかったりしたら「写真撮るのもいいけど、

        • アウトプットなき思考や洞察は、価値がない。

          <内容> 1、思考は無。 2、思考を文字に変換するダルさ。 3、書く行為と思考を分ける。 4、無だろうと思考はいいもの。 深い洞察や思考を繰り返すことは有意義なことに見える。 しかし、それは自分にとって有意義なだけで、言葉か文字かなにかしら他人に共有できる形に変換して、実際に人目に触れるところに置かないと、他人の人にとって無に等しい。 アイディアを具体的に他人に伝えるようとする努力。 すなわち書くという行為はだいぶ思考とは性質の異なるものだ。 思考の性質は、頭のなかでい

        美術館では行列を作るな!という話

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        • ウーバー
          2本

        記事

          僕らはみんな代替可能品

          ありふれた言葉として使われているが 「人材」という語は魔性の言葉である。 会社におけるマネージャーが管理すべき経営資源は「ヒト・モノ・カネ・情報」と言われる。 つまり会社において人は資源として扱われる。 財務的には労働者はコストだ。 コストは削減すべきことが推奨される。 もちろん人はコストなだけではない。 むしろ会社は売上に貢献することを期待して人を雇うのである。人はコストであると同時に売上にも関連する。 みな自分が会社にとって有益な存在であることを証明しようとする。

          僕らはみんな代替可能品

          毒親を解読するとき感情的になりすぎる危険性

          毒親の話を語るとなれば、とかく感傷的なトーンで語られやすい。 SNSとかで毒親について語ろうとすると、気を抜くと毒親育ちがどれだけ辛いかのアピール合戦になってしまう。 毒親問題は当人にとって当然、辛いことである。 それにそもそも毒親問題を解決したい出発点は、辛さから逃れたいという動機であるはずだ。 だけども、その辛さがいかに辛いかばかり目を向けて、他人に慰めを求めるように悲観的な言葉でそれを飾ることは、それを増幅させることになりうる。 自分の内面の辛さに素直に目を向ける

          毒親を解読するとき感情的になりすぎる危険性

          文章で表現する限界と、スマホでなくメモを使う隆。

          スマホのメモ機能は本当に便利だが、 しかし、紙のノートも手放す気にはならない。紙のノートにはスマホでは代用できないメリットがあると感じるからだ。 文章という形式で物事を考えるには一定の制限がある。 マインドマップのように自由に展開させて考えたいとき。 ある事柄の構造を考えたい時。 小さく分解して理解したいとき。 そういうときは紙のノートの方が便利だ。 文章というのは物事を一つの連なった流れでしか表現できない。 たとえばマインドマップのように一つの中心的なコアとなる概念

          文章で表現する限界と、スマホでなくメモを使う隆。

          マスクを外せ!同調圧力をブチ壊せ!!

          3月13日からマスクの着用が個人の判断になりましたが、大半の人がマスクしていますね。 様々な生活の事情がありますし、花粉症が猛威を震ってますから、個人の判断なのでつけたい人はもちろん着けたらいいです。 しかし実際にはマスクを外したいけど、周りの人が外さないために仕方なくつけている人も一定数いると思います。街を歩くと、約8~9割の人がマスクをしていますが、すべての人が花粉症だとは考えられません。また、花粉の量が少ないはずの雨の日でも、変わらずマスクを着用している人が多いです

          マスクを外せ!同調圧力をブチ壊せ!!

          chatGPTやAIが仕事を奪ったら人類は不要になる

          近頃、chat GPTや画像生成AIなど AIの発展が著しい。 AIの話題になると必ず出てくるのが、AIが人間の仕事を奪うという話。 しかし、一方でAIが仕事を奪うというのは、見方を変えれば人間は労働から解放されるという側面もあります。 仕事を奪われる側からしたら死活問題ですし、AIの発展する過程でともなう社会の混乱や痛みもあるでしょう。 はたして人間はAIの発展で、不要になるのか、自由になるのか。 仕事を奪われた人類は不要か AIが更に発展していき、人間の生産活動のす

          chatGPTやAIが仕事を奪ったら人類は不要になる

          世界最高の毒親文学「カラマーゾフの兄弟」とは?

          19世紀を代表するロシアの文豪ドストエフスキー。 その代表作である「カラマーゾフの兄弟」が毒親の精神的呪縛からの解放に非常に優れた小説だというお話し。 ドストエフスキーが好き。 だけど、長編どれも1000p以上あるので本読む速度が遅い僕としては読み切るのなかなかしんどい。 でもそれを乗り越えて得る価値がある感動や、心をかき乱すような人間への深い洞察を得られるので頑張って読みます。 最近、カラマーゾフの兄弟を再読しました。 1度目読んだときは僕自身が毒親の過去のトラウマと

          世界最高の毒親文学「カラマーゾフの兄弟」とは?

          なぜ僕はWBCに熱狂できないのか。

          3/22日 WBC準決勝で日本は、メキシコにサヨナラ勝ちしました。 こういうイベントにはよく見られるのですが、普段は野球にまったく興味ないような人まで熱狂して観戦しているようです。 日本を代表して世界と伍して戦っているので「ニッポン頑張れ!!」って気持ちなのでしょう。 僕自身もそういう気持ちは多少分かります。 しかし、日本代表の野球チームがが勝ったからって、応援している側に関係ないといえば関係ありません。 ではこの感情移入の気持ちは一体何なのでしょうか。 ・なぜ日本に感

          なぜ僕はWBCに熱狂できないのか。

          chatGPTに人生について教えてもらったら結構良かった。

          毒親について等など書いてます。 面白かったらフォローよろしくお願いします。 人生の価値ある生き方についての哲学的考え方は、多数の学説が存在します。以下にいくつかの主要な学説を紹介します。 1. 禅宗哲学:禅宗は、現在の瞬間に集中し、自分自身と世界を深く理解することを目的としています。禅宗哲学では、人生の真の目的は内なる平和、調和、そして自己超越であると考えられています。 2. エピクロス主義:エピクロス主義は、快楽主義の一種であり、楽しむことと苦痛を避けることが最も重要で

          chatGPTに人生について教えてもらったら結構良かった。

          毒親の「躾」は嘘

          毒親が加害行為を正当化する目的でよく使わるワードがある。 「私は躾をしている。」 たしかに子育てに「躾」は必要だろう。それに躾という行為には叱る等の厳しい態度を取らざる得ないことも含まれている。 そう言われると、彼ら毒親の言い分はもっとものように聞こえてくる。しかし、一方でなにか納得いかないモヤモヤした気持ちが残る。 そこで今回はこの「躾と毒親の関係」について考えてみる。 ・そもそも「躾」って何だっけ 毒親がやっていることが「躾」なのか判断するためには、そもそも「躾」

          毒親の「躾」は嘘

          【詩】まなざし

          あなたが私に声をかけると 私は忽ちその言葉に染められ堕落する 私は私を規定する存在でなくなり、 あなたの思考で瞬時に邪悪に形成される 私は昨日考えていたような私の姿を忘れて あなたに押し付けられた私を私だと思う。 脈は早まり、背筋が凍り、心臓が高まる。 私は実際にはあなたに規定されてなどいない。 あなたの言葉は私には関係がない。 だが関係ない。 あなたが口を開くときには 私はあなたに完全に規定されるのだ。

          【詩】まなざし

          【詩】埋没

          電車の席で、駅の階段で スーパーの売り場で、横断信号で僕は埋没する。 円滑に流れる大衆の波を構成する部品として 顔もなき誰かに与えられた 機械仕掛けに動く自らの意思と体を見つめながら 感情は道具であり 現在は目的のためにあり 体は生産のためにある 今ここに居る意味を教えて 模範的な先生 予定調和を壊してしまいたいと思っていた。 思っている。思っていた。

          毒親の子どもの敵は「親権」なのか?ということ

          毒親の問題解決を考えるにあたって、いろんな側面から捉えられると思う。 ○法律から考える側面 家庭というものを法律がどう捉えて、虐待をはじめもし子供に害がある家庭だった場合にどんな救済処置があるのか。 ○親の資質から考える側面 毒親がなぜ毒親になってしまうのか。毒親を糾弾することも大切だし、毒親にも過去に精神的なトラウマなどの問題がありそれが原因になっているのかもしれない(もちろんトラウマがあるとしても加害行為が許されるわけではない) ○子ども側の主体性と知識の問題 (ⅰ

          毒親の子どもの敵は「親権」なのか?ということ