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お笑いと片想いに関するとりとめもない話

 「笑う」ということが好きだ。生活に潤いとハリを与えてくれるし、何も感じていないプラマイゼロの心を一気にプラスに引き上げてくれる。それに加えて免疫細胞も活性化させてくれるのだから、笑うことにはメリットしかないと常々思っている。

 そこに生来のオタクマインドが重なり、テレビやラジオ越しでお笑いを楽しむだけでは物足りなくなった。好きなものは生で観たいタイプのオタクなので、ここ一年は劇場にしばしば足を運んでいる。生ならではの即興感、前のネタを受けたアドリブ、客席の盛り上がりが芸人さんに還元される様子など、劇場でしか楽しめないお笑いの魅力に取り憑かれている。

 

 話は逸れるが、先日意中の人とデートをした。あまりにも恋愛とは無縁な自分に久々に降って湧いた、心が浮き立つイベントだった。1週間ほど前からそわそわしていたし、当日には新しい服や鞄をおろしたし、それはそれは入念に支度をして挑んだ。

 ものすごく楽しかったが、如何せん恋愛経験がなさすぎて、成功したのか失敗したのかよく分からない。脈があるように感じられるできごともあったけれど、遠回しに脈がないことを伝えているのでは?と感じてしまうこともあった。

 初対面の人だったし、たった一回のデートで何が分かるわけでもないが、少しでも脈がないと邪推してしまう部分があったことにかなりへこんで、心がぐるぐるしている。あと何回か会って真意を確かめるなり距離を縮めるなりしたいのだが、そう気軽に会えるものでもない。

 というのも、私は関東に住んでおり、彼は関西に住んでいるのだ。そもそもこのデートの発端は、関西旅行に行く私が彼に案内を頼んだことにある。色っぽくデートと言っているが、言い換えれば観光客の私が地元の彼にガイドをしてもらうというものだった。関東から関西なんて新幹線に乗れば一瞬で着くし、いろいろな口実をつけて行くことができるが、さすがに恋人でもない人間がそう頻繁に訪れるのは気持ち悪すぎる。だからこの先あるかもしれない関西旅行のチャンスを虎視眈々と狙っている。


 関西に行く口実として今回私が使ったのが、他でもないお笑いだった。東京で観られるお笑いだけでは飽き足りず、いつか本場の大阪でお笑いを観たいと思っていたので、3月という最後のモラトリアムの期間を使って関西まで行くことにした。好きな芸人さんのツーマンや寄席が立て続けに行われる時期があったので、迷わずにチケットを取り、新幹線やホテルを手配し、彼に連絡をした。

 2泊3日の旅行だった。初日にNGKやマンゲキを眺め、二日目の夜に祇園花月でツーマンライブを観て、三日目に森ノ宮で関西吉本の寄席を観るという行程を組んだ。

 デートは二日目の午後だった。先述の通りなんだかよく分からないことになり、解散後は相当心を混乱させながら祇園花月に向かった。大好きな2組が出演するツーマンライブだったが、純粋に楽しめるかどうか分からないほど心がもやもやしていた。

 それでも、芸人さんが舞台に立って、サンパチマイクを挟んで喋っている様子を見て、繰り出される言葉の応酬を聞いていたら、自然に心がスーッと晴れていった。開演前はあんなにも頭をもたげていたデートのあれこれが、ライブを観ていたら一気に重みを失っていったのである。

 祇園から宿泊先のホテルに戻る時にはほぼ普段の自分を取り戻した。しかし自分の内面はなかなか厄介で、ホテルに帰って寝る支度を整えているとまた、デートのことを反芻して心がぐるぐるしてきた。その日はかなり歩いて疲れていたにもかかわらず、夜中に目が覚めてそのまま眠れなかったほどだ。


  なんとか眠りに就き、翌日の朝になった。朝になっても心の中にざわざわやぐるぐるは居着いており、全く本調子ではなかった。普段は朝ごはんをもりもり食べるのだが、なぜかその日は食欲がなく、腹八分目にするのもやっとなくらいだった。前日の夜にご飯を食べていなくて、お腹がぺこぺこだったのにも関わらず。たった一つの恋愛で、人生の中でかなりの比率を占めている食の楽しみが奪われるとは思わなかった。

 朝ごはんを食べ終わり、軽く支度をしてその日の目的地である森ノ宮に向かうことにした。ホテルから森ノ宮に向かう電車の中で音楽を聴いていたが、その音楽の一つ一つに心をぶるぶる揺さぶられて、勝手に悲しくなったり泣きそうになったりして参った。べつに恋が終わったわけでも何でもないのに、心の中が大荒れ模様だった。

 

 そんな状態で森ノ宮に到着し、その日の公演を観た。さすが自分が取ったチケットだけあって、好きな芸人さんや気になる芸人さんしか登場していなかった。テレビやラジオで間接的に接していた芸人さんが自分からたった数メートル先にいて、面白いことを言って場を沸かせている。もちろん私も腹を抱えて笑ったし、自分ができる最大限の拍手で賛辞を送った。ネタも面白かったしミニコーナーも面白かったし、人生で初めて前説を観ることもできた。これで2500円は安すぎない!?と思うほどの満足感を味わった。

 1時間半の公演が終了し、劇場から出ると、心持ちが驚くほどフラットになっていた。寄席を観る前の自分の心は、例えるなら生傷がたくさんあって、少しの刺激でもビリビリ傷んでいた様子だった。しかし劇場から出ると心の生傷に絆創膏が貼られているように感じ、どんな曲を聴いても何を考えても落ち込まなくなった。


 もちろん、この絆創膏の正体が「笑い」である。今までは暇な時や楽しい気分になりたいときにお笑いを観に行っていたため、笑いの持つこのヒーリング効果に気づくことはなかった。しかし傷ついた心を抱えてお笑いを観に行き、生の笑いを浴びることで、今まで気づけなかった笑いの新たな側面に気づくことができたのである。

 まだ人生の始まりくらいにいる私には、していない経験や感じていない気持ちがたくさんある。今後の人生の中で未体験のことをたくさん積み重ねるだろうが、新しい経験や感情を身につける度にお笑いを観に行こうかと思った。そうすれば、今はまだ気づけていない笑いの魅力や側面に出会える気がする。


 笑いは人生になくてはならないものではないと思っている。食べ物を買わないと生きていくことはできないが、笑いを買わなくても生きていくことはできる。でも心を潤したり人生を少し楽しくするために、笑いほど必要なものはないとも思う。そんな笑いにお金を使える自分が好きだ。

 笑いはプラマイゼロの心をプラスにするものだと思っていたが、マイナスの心をプラマイゼロ(もしくは)プラスにできることに気づいた。心が傷ついて俗世から逃げたくなったとき、劇場という黄金の逃げ道を自分の中に確保するだけで、気が楽になる。

 この恋はまだ始まったばかりだし、決して終わったわけではない。でも、この先彼とやりとりを続けたり自分の要望を伝えたりする中で、心が傷ついたりもやもやすることは何度もあるだろう。そういう心のよすがとして、私はお笑いを使っていくことにした。


 森ノ宮から自宅まで帰った後は、つつがなく一日を終えることができた。でも次の日の朝はまた気持ちがまとまらなくなるし、日中友達と遊んで心を紛らわせても、友達と別れて心に隙間ができると、その合間を縫ってもやもやした感情が侵入してくる。フラットな気持ち、楽しい気持ち、もやもやした気持ちがめまぐるしく移り変わって手に負えない。

 でも手持ちのお笑いチケットはまだたくさんあるし、もやもやしたらまたチケットを買って心をプラスの方向に持っていけばいい。そう思うと、恋愛と笑いを抱えて生きることがとても楽しみになった。

 

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