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44歳11ヵ月の卵子凍結(1)突然ひらりと舞い降りた

―― 卵子凍結。

もちろん、その言葉は知っていたけれど、まさかそれが自分ごとになる日が来るとは、思ってもいなかった。

それは、45歳の誕生日を迎えるちょうど2ヵ月前、突然目の前に舞い降りて、そのままひらひらと飛び去ろうとしていた。そのうしろ姿を一度見失えば、もう二度と見つけることはできない。とはいえ、すぐに手を伸ばして捕まえる勇気もない。そんな思いで、戸惑いながらもうしろ姿を追いかけて1ヵ月後、私は6個の卵子を凍結した。

どんなに悩んでも、立ち止まることが許されない1ヵ月だった。人生においても、それなりに大きな決断だったようにも思う。だから、将来の自分のために、そして、もしかしたら同じような境遇にある人のために、記録をに留めておきたい。

2022年7月12日。45歳まで、あと2ヵ月


毎月1回、私の住む街でジャズピアノを教えている音楽家の友人がいる。少し年上で、2人の子供を育てながら、バリバリと活動をしている。彼女が来る日には、休憩時間に合わせて、近くで一緒に軽く食事をするのが恒例になっている。仕事のこと、プライベートのこと、他では話しにくいことまで、いろいろ話をする。

この日も、近所のインド料理屋さんで、カレーを食べながらそんな話をしていた。私は、この2ヵ月前にパートナーと破局。それからの心情の変化などをつらつらと話していた。途中で、少し会話が途切れ、ふと「もう子供が持つ可能性がなくなったと思うと悲しい」という言葉が私の口をついて出た。話の流れに乗ってきた、というより、ふわりとどこからか湧いてきた。

一方、彼女は「3人目の子供がほしくてね」と話し始めた。ちょっとした驚きだった。つい先月まで、子育てよりも、もっと思いっきり音楽活動に専念したい!と息巻いていたのだから。しかし、彼女はすでに産婦人科の尋ね、相談を始めていた。行動すれば何か動くよね、と言って。

それから、インド料理屋を後にして、彼女をスタジオまで送る道すがら。「卵子凍結、考えてみたら?」と彼女がぽろりと言った。「私も、もっと若いときに採っておけばよかったなと思うよ」と。

卵子凍結。

この、ヒトの英知のきらめきと同時に、そこにある人工的な響きに、どうしても苦手意識を持っていた。数年前も一度、他の誰かに同じことを聞かれたことがあったが、するりと耳から抜けていった。でも、出会いも子供も自然に任せて、と思っているうちに今に至ったことも事実。そんなこともあってか、今回はどこか引っかかり、帰宅してすぐに検索した。

ざっと見てわかったことは、標準的には、40歳未満を対象にしているということ。日本生殖医学会がガイドラインで「40歳以上は推奨できない」としていることから、ほとんどのクリニックはこれに準拠している。

その時は本気で考えていたわけではなかったし、むしろ敬遠すらしていたから、その選択肢があっさりと消えることに未練はなかった。けれど、医学会が「推奨しない」年齢であるという事実、常識的には難しいとわかりながらなんとなく目を背けてきた事実に繰り返し直面して、気づけば検索する手を止められなくなっていた。

そのうち、見た限りでは都内で唯一、「45歳の誕生日を迎えるまで」を対象にしているクリニックを見つけた。実績もあり、情報発信も丁寧で、誠実な印象を受けた。さらに、自宅からは20-30分の距離だった。

45歳の誕生日まで、あと、ちょうど2ヵ月。

このまま見過ごすこともできるけれど、もう残されたカードは1枚しかない。このカードをめくるなら、今しかない。とりあえず手だけでも伸ばしてみよう。と思い、どうしたら相談できるのかを見てみると、初診を受けるには、事前の「説明会」への参加が必須とのこと。その説明会は、4日後の7月16日(土)に予定されていた。

なんというタイミング、と思いながら参加申込みを進めていくと、「事前に血液検査が必要」との案内。血液検査は、ホルモン値から、卵子の残量を推定するためのもので、説明会の主たる部分は、その結果をもとに進んでいくらしい。

しかし、血液検査の予約は、数日前に締め切られていた。ここまでかな、、と思いつつも、説明会の申し込みフォームの中で、今からでも血液検査は可能かと問い合わせた。すると、すぐに連絡がきて、2日後の14日、ちょうど空いている時間に予約がぴったり収まった。

閉じかけていた幕が、また開いた。でもこの時はまだ、卵子凍結のことなんてほとんど知らないし、ましてや卵子をとりまく女性の身体について、自分はほとんど無知であった、ということすら無知であった。

そして2日後、血液検査のために、はじめてクリニックを訪れた。ここから、悩み続けながら卵子凍結の後ろ姿を追う1ヵ月が始まった。

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