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東京トンガリキッズ・21ct 「忌野清志郎が死んだ日」

以下に公開するのは、「宝島AGES」創刊号(2015年2月号)に掲載の中森明夫<東京トンガリキッズ・21ct>第1回の全文です。掲載写真の撮影は代田康彦氏です。

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東京トンガリキッズ・21ct
「忌野清志郎が死んだ日」
BGM=忌野清志郎『Oh!RADIO』

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 2014年秋、俺は母校の学園祭へと行った。昔の仲間とはSNSでつながってる。久々にみんなで会おうぜ。ほら、例の場所で。
 校舎の最上階、扉を開けると、真っ青な空だった。
 屋上ーー。
 そう、俺たちの場所。高校時代は授業をサボって、いつもここにいた。
 扉が開いて、一人、また一人と懐かしい顔が現れる。あの頃の仲間たち。みんなオッサンになっていた。卒業してもう20年以上だ。嫁さんや子連れもいる。ガキどもがハシャいで走り廻っていた。
 ひげ面の奴が「持ってきたぜ」と右手を掲げる。
 ……ラジカセ!
「物置きにあったんだ」
 ボタンを押すと、軽快な音楽が流れる。
 あの頃の空気が甦ってきた。
『トランジスタ・ラジオ』だ。 
 1980年代の空気が。切ない歌声が青空に吸い込まれてゆく。泣きそうになった。
 ああ、この歌声は、もう永遠に喪われてしまったんだ。

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 忌野清志郎が死んだーー。
 昔の仲間からのメールで知った。
 嘘だろ!
 テレビをつけると、安住アナが「せいしろうさんが亡くなりました」と言っていた。
 バカ野郎! と、思わず吐き捨てる。
 土曜の夜だった。なじみのバーで、RCの曲を延々とリクエストして、朝まで呑み明かした。
 2009年5月2日のことーー。

 一週間後、青山へと行った。
 すごい行列だ。髪を立てた野郎、泣いてる女、ヘルメットをかぶってる奴、清志郎のラクガキの"ひとはたウサギ"の巨大なバルーンを見上げた。
 これが葬式?
 青山ロックンロール・ショーだとさ。
 いかにもキヨシらしい。
 5時間以上も並んだ。長いお別れができた。これは清志郎と俺たちファンとの最後で最大のイベントなんだ。
 やっと葬儀場にたどり着いた時は、もう陽が暮れていた。
 ド派手な祭壇。花に埋もれた彼の写真は笑っていた。その時、もらったカードは引き出しの奥にしまってある。トランジスタ・ラジオと一緒に。
 こないだ取り出してみたら、「イェーッ‼︎」の清志郎直筆のサイン、ああ、イェー=遺影、だったんだ⁉︎ やっと気づいたよ。
 あれから5年が過ぎたーー。

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「清志郎ってさ、ラジオの人だったんだよな、最後まで」と仲間が言う。
『トランジスタ・ラジオ』だけじゃない。カーラジオからスローバラード、おまえについてるラジオは感度最高で、最後の曲は『Oh!RADIO』だった。
「♪FM東京、おまんこ野郎……って強烈だったな」
「YouTubeにあがってたタイマーズの映像を息子に見せたら、ドン引きしてたよ」
「ほら、タイマーズの海賊版カセットを廻しあったじゃんよ」
 いつしか高校生の口調になっていた。四十男たちが。清志郎の歌は、男たちを少年にする。
「正直に言うと、反原発ソングとかついてけなかった。けどキヨシが死んで、福島で原発事故があってさ」
「預言者だよな」
「いや、炭鉱のカナリアとか?」
「清志郎の歌を今、聴くと、意味が全然違って聴こえる」
「『ヒッピーに捧ぐ』なんて、もう泣けて泣けて聴けないよ」
「『AKIRA』の鉄雄ってビジュアルがもろキヨシローだよな」
『い・け・な・いルージュマジック』で坂本龍一とキスしてーーと言うと、「まさか教授まで咽頭ガンになるなんて……」と絶句した。
 忌野清志郎・完全復活祭を思い出す。
 武道館のモニターに抗ガン治療でハゲたその顔が映って、衝撃的で、少しずつ髪が伸びて、本物の清志郎が飛び出してくると……大歓声、涙、『JUNP』で跳んでみせた。あの瞬間を忘れない。
 翌年、清志郎は死んだ。58歳か。やがて俺はその歳を超えるだろう。

 陽が傾いて、屋上が赤く染まる。
『スローバラード』が流れていた。
 俺たち、夢を見てたのかな…あの頃。
 同じ夢じゃない。
「とてもよく似た夢」を。

 結婚してる奴、ローンに苦しんでる奴、リストラされた奴、自転車に乗り始めた奴……いろいろいるけど、なあ、俺たちーー、もう一度、跳べるかな?

 屋上の手すりにもたれ「まさか清志郎のいない世界で生きていくなんて」ともらすと、「いや……」と隣の奴が言う。
「いるよ……清志郎は」と目を閉じた。
 はっとする。
 チャボのギターが鳴って『雨あがりの夜空に』が流れる。ガキたちがハシャいで飛び廻っていた。みんなで輪になって。21世紀の子供たちが忌野清志郎の曲で踊ってる。夕陽の映える屋上で。たまんない気持ちになった。

 ああ……日比谷野音やクリスマスの武道館で、跳ねたり、甲州街道の秋に涙を流し、多摩蘭坂にラクガキして花を捧げたり、市営グラウンドの駐車場で彼女と車の中で寝た、あの頃の仲間たちーー愛しあってるかい? 今でも、ずっと……ベイベー、なんて呟いたなら、きっと、もう一度、俺たちは跳べるさ。
 だって、目を閉じて胸に手をやれば、そう、


 ……忌野清志郎は生きている!
 

(了)


<中森明夫の最新情報>
『東京トンガリキッズ』は27歳で出版した私の初単著、デビュー作です。今、また新しい小説を書いています。<サブカルチャーのカリスマ・寺山修司が今も生きていて、アイドルグループをプロデュースする…その名も『TRY48』!>と題する、ぶっ飛んだ物語。文芸誌「新潮」で連載中。第1〜3章が以下のサイトで無料で読めます。ぜひ、ご一読を!


https://www.shinchosha.co.jp/shincho/special/try48/

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