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60年代テラヤマ演劇を生きる

もし寺山修司が今も生きていたら…「もしテラ」と呼んでください! 80歳代半ばでアイドルグループをプロデュースしたんじゃないか? その名も、TRY48だ。「TRY48」と題する小説を文芸誌「新潮」に連載中。執筆の経緯についてはこのnoteの初回に書きました。あ、第1章、第2章がwebで全文無料公開されています。ぜひ、ご一読を!→
https://www.shinchosha.co.jp/shincho/special/try48/

この小説ではアイドル志望の女子高生・ユリコが、寺山プロデュースのTRY48に入ろうとする。協力するのが後輩のサブコという天才サブカル少女です。私の友人ホリーニョが二人のイラストを描いてくれました。

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丸っこいメガネ女子がサブコちゃんですね。サブカル知識にとぼしいユリコに、天才サブコが寺山修司についての知識を指南する…という形で物語は進行しております。

さて、「新潮」2022年2月号に掲載の第3章のタイトルは<60年代テラヤマ演劇を生きる>。寺山修司は多彩な分野で活躍したけど、もっとも著名なのは演劇人としてでした。天井桟敷という劇団を主宰、当初は横尾忠則も参加していたし、美輪明宏主演の『毛皮のマリー』が大評判になりました。1967年に旗揚げしたんですが、当時は学生運動まっ盛りの激動の時代、若者たちのストリートカルチャーやアングラ文化が沸騰していた。その中で寺山主宰の天井桟敷の存在は異彩を放っていました。渋谷駅のそばに巨大なピエロの顔の看板の天井桟敷館を創設し、そこを拠点に様々な活動を展開していきます。
 『家出のすすめ』という本をご存知ですか? 『書よ捨てよ、町へ出よう』と共にもっとも読まれている寺山のエッセイ集ですね。60年代にこの本が出た時は、実際に家出少年少女らが同書を手に寺山のもとへと訪ねてきたとか。そうした若者たちもまた劇団・天井桟敷に入りました。いわゆる役者ではなく街のピッピーやフーテン、路上詩人、ゲイボーイやレズビアンバーのホステスなどを舞台に上げ、即興のセリフを叫ばせた。
寺山が1983年に亡くなるまでに天井桟敷の演劇は大きく変革していきます。この劇団は「演劇実験室」と称していたように様々な実験的な挑戦を試みて、より抽象度の高い舞台へと進化してゆく。海外公演を重ねて、日本より世界での方が評価が高くなっていきます。しかし、小説「TRY48」では60年代のまだ街の若者たちを挑発する熱度に満ちていた頃のテラヤマ演劇の世界に、時を超えて現代の女子高生たちを突入させることにしました。さて、その結果はどうなったか? ぜひ、「TRY48」第3章、ご一読ください!

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