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「助けてください」が言えなかった。vol.1


過去のわたし
「助けてください」
その一言が
言えませんでした。


それは、
時に、周りからみたら「プライドが高い」と
思われるような状態だったと思います。

それ以前に、
そもそもわたしは
周りからみて「困っているようにみえない」人で。
明るく、おちゃらけて。「バカをやるのがわたし」と
真面目で頭も悪くないけれど、
三枚目キャラが「わたしの性格(特徴)」と思って生きていました。
20代までのわたしのことです。

それとは別に
周りから「プライドが高い」と思われるような態度・言動。
今思うと、わたしには沢山あったと思います。
原因は、わたしが密かに抱えていた「劣等感」と「不安」です。

劣等感は、けっこう曲者で。
自分が思っている以上に、他人と関わる際に
わかりやすく表現されてしまいます。

劣等感は、無意識のうちに「相手より上になろう」と、必死です。
相手には「知る由もない」ところで、
自分が勝手に抱えている「劣等感」が引き起こす
対人関係のトラブルの種。不快感。

これは本当に、
1日でも早く、理解して手放していきたいもの
ナンバーワンに入ると思います。

そして

わたしが「助けてください」
と人に助けを求められなかったこと。
過去、ものすごく「深い悩み」「大きすぎる不安」を
抱えていたにもかかわらず
人に助けを求められなかった理由。

振り返って思うことは
まず

わたし自身がその「不安」「悩み」について
わかってない。理解してない。言語化できない

ということがあります。
これが、そもそもの理由。

自分で「わかってない」んです。
そんな、自分でもあやふやなもの、漠然としたものを
人に「なんて話せばいい」のでしょう??


こどもでもありますよね。
「わかんない」って口に出す、あれです。

「わからない」んです。
もしくは「わからない」ことにしておきたいんです。
自分の深層心理では「わかりたくない」から。
現実と向き合いたくないから。


そんな状態で、誰かに「話す」って、
とりとめがない、んです。

お互いに「ものすごく暇」であるとか
どんな内容・状況でも「本気で向き合いたい」大切な相手、だとか。
仕事として、お金もらって「話を聞ける状態」であるとか。

そういうことでもない限り
自分の「貴重な時間」をつかって、
まともにその「漠然としたもの」を「聴こう」と
してくれる人って、いないじゃないですか。


わたしの場合


「誰かが『答え』を持っているわけじゃない」


そういうことは、
感覚的に「わかる」わけです。

だからこそ、
「誰」に相談したらいいかが、わからない。
「誰」が、わたしの「悩みと不安」について「わかってくれる」のか。

私の場合
「相談できる相手」を自分で見つけられなかったのです。

わたしが
「悩み事・困りごと」として把握していたことは
わたしは幼少期の頃から「家族のことでものすごく困った、悩んだ」
ということ。

でもそれも
自分の身近に「わかってくれる大人が誰もいない」
ということに早々と気づき。
それが小学校3、4年の頃です。

そこからもう「諦めている」し
「なかったこと」にしてきた数々の出来事、感情が
あったわけです。
大人になって「子供の頃の話」を
まともに受け取って聞いてくれる人なんて、滅多にいません。
少なくとも、私が20代の頃、今から20年前なんて
インターネットもまだまだ始まったくらいですし
スマホなんてほぼ普及してない時代。
SNS上で「誰か」と繋がるなんて、なかった時代でした。


わたしは「いい子」で育ちました。
「いい子」でいるしかありませんでした。

保育園の年中の頃にもう既に「しっかりしている」
と周りからの評価を得ているくらい
早い段階で「大人の顔色をうかがえる」人間になっていました。

仕方がありません。
我が家は大人が当時5人もいましたが
家族の「質としては「機能不全家族」にあたる
大人としては未熟すぎる精神状態の人たちが
「家族」を構成しているような家庭
でした。

表立って「悪い印象」を周りには与えません。
むしろ「立派」(家業を営んでいたことで)だということで
人からは「良い印象」に映ります。

けれど
家庭内では「めちゃくちゃ」なのです。
「家族」としては全然立派でも、自慢できる家族でも
ありませんでした。

何がめちゃくちゃか、というと

「親子の関係性」
「男女関係」
「パワーバランス」

が、です。

我が家は「一般家庭」とは全然違う形態と
それゆえの「バランス」で成り立っていた家族なので
わたしは、全くと言っていいほど「一般(常識)」
を知らないまま大人になりました。

その上で

母親が「父親とものすごく仲が悪い」状態で
同居の中、母は自分の母親(つまり私の祖母)と
ものすごく酷い「共依存関係」
で生きていて、
それ故に、わたしにも「ものすごく酷い共依存関係」を求め、
その関係性を強固なものとし。
だけれど、そんな「重要なこころの問題」に無自覚なまま
わたしを娘として育てました。


無自覚ほど、怖いものはありません。


わたしは
そんな無自覚な母に「わかって欲しい」と
まぁとんでもない時間とエネルギーとお金を使ってきました。


理由は簡単。
本当は「母親に」助けて欲しかったから。


わたしが助けて欲しかった相手は
母親でした。


けれど、
それが「大きな間違い」だったのです。

そこが、
わたしの「大きな問題」でした。


今は、
本当に、俯瞰していろんなことがわかります。

・ 共依存という関係性
・ その恐ろしさ
・ その関係性が生む「自分も周りも不幸にする人間関係」

それらのことについて、
わたしは
幸か不幸か、かなり詳しくなってしまいました。

火事の中に普通の服で突っ込む。
みたいなこと、6年続けたので。
実体験で「わかること」がとても沢山あります。

普通は、そこまでやりません。
わたしは「バカだった」ので、そこまでやりましたが。。。。
もちろん他人にもオススメしません。

わたしは変に「完璧主義者」でもあったので
「わからないのがイヤ」でした。気持ちが悪い。
親子問題に向き合っていた「渦中」は
そういう「こころの癖」がどうしても働いてしまい、
とことん、やったのです。

だからこそ、
自分で「体感として」納得し
前に進むことができた。

それは、確かにあると思います。


自分が「どういうことに困っている」のか
自分でちゃんと「把握、理解」することは
とてもとても大事です。

まずは
それができないと
自分が抱えている悩みや不安は
解決・改善しません。

だから、

『自己理解』

って、本当に大事です。
そのレベル、その深さによって
人生の質は全然変わってきます

ちょっと
話がずれてしまいましたが
もう少し「助けてほしい」に関して
書いていきたいと思います。




今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。