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母に求め続けた「限定的」な愛。

愛には色んな種類がある。
関係性によっても違う。
一言で「愛」といっても
同じものを指しているとは限らない。


そんな愛の「ズレ」は
親子という一番「縁の深い関係性」であっても
簡単に起こり得る。


わたしは
親から欲しい愛を
ずっと「母親」に対して求め続けていたけれど。


それは叶わないことなんだと
「心が納得する」までに
物凄く長い時間がかかりました。


わたし自身が「条件付き」で
母を「母親として」求めている
限り
叶わないこと。


叶わない条件を
自分で設けているのですから。
一生叶わないですよね。



そんな簡単な仕組みに気付けず。
気づいたとしても納得できず。
苦しい想いを長い時間抱え込んでいました。



2人の子の親になり
もう10数年経ちますが


自分の「理想像」としての
母親を演じている自分自身は
まさに「条件付き」の設定で。


それはまだ
他人から押し付けられたものでもなく
自分で「良いと思って」演じている、
目指したいものだったからこそ
まだ「マシ」でしたが



「理想」

というのは
自分が健康で、余裕があるときには
十分機能するものの
そうでない状態のときには
「負担」や「足かせ」となるようなものでもあり。

「完璧主義」

な性質が顔を出してくると
さらにもっと「自分を縛るもの」と化します。


そして
それは

自分の親との関係性に
深く向き合えば向き合うほど

自分の進んでいる方向が、やり方が
「違うんじゃないか」と。
だんだんと「本音」に気づき始めます。



自分にとっては
当たり前に「良いもの」として
思い込んでいたもの。



「わたしは、母とは違う」

思いながらも、
力んでいるときには必ず
結局「同じこと」になっているという。
気づきたくない現実何度だって気づく。



「なりたい姿」
「理想」


というもの自体

「スタートライン」が違えば
それは全然違うものになります。

わたしの
スタートラインは
あまりにも「反抗的な条件付きの愛」で。


子育てにおいて
それがある限り
わたしの中の「苦しさ」は消えず。


叶わない理想像を
ただ無謀にも追い続けるだけで

娘や息子にもまた
同じ「苦しさ」を感じさせる子育てで
終わってしまうところでした。



わたしの愛は
広いつもりでいたけれど
実際は
とても「限定的」だった。


過去のわたしは
受け入れられる条件が
ものすごく狭かったと思います。

今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。