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2023年の悩みと目標

2023年、明確になった悩み

2023年がスタートして1ヶ月。まだ30日しか経っていないのに、早速悩みが出来た。というより、ここ数年ぼんやりと感じていたものが、急に輪郭を持ち始めた、という感じ。

2023年の私の悩み。それは、年々、人とうまく話せなくなってきている。ということ。
私は元々、派手なタイプではないけれど、人とコミュニケーションを取るのは好きだと自覚していた。知的好奇心が強く、知らない人の話を聞き、会話を弾ませることが出来る。それに加えて、元来のオタク気質も相まって、わりとどんな話題でも、それなりに話をすることが出来た。友人からはよく「ほちこってほんとに幅広いよね」と言われることもよくある。

でも、最近は本当にダメだ。相手との会話の中で、自分が空まわりしているような気がしてしまう。相手に対して、必要以上に気を遣って答えを返しているような、そんな違和感がある。例えば、相手がふんわり投げてきた会話のボールを、投げ返さずに走って手渡しに行く、そんな居心地の悪さがある。
ここまで読んでくれた方はきっと、自覚しているんだから、それをやめたらいいんじゃない?と思うかもしれない。それが出来ないのだ。なんというか、止まらないのだ。これが空回りしていると感じる原因なんだろうけれど、本当に止まらない。
よく、友人と遊んだ後に一人反省会を開く。「あの時の会話、あの一言、もっと良い言い方があったはず」と、脳内で悶々としながら帰路に着くことは少なくない。ここ最近の私は、他人とのチャットのやりとりでもそれが起こっているような状態だ。

では、何が私をそうさせているのか。ここ数ヶ月、急速にはっきりと自覚し始めたこの悩みの種の原因を、あれこれ考えてみた。
答えは割と結構、すぐに見つかった。

人にどう思われているかを気にしすぎる。

これだ。これに尽きる。相手を不快にさせていないか心配である、とも言える。
少し話が逸れるけれど、自分軸や他人軸という言葉をよく聞くようになった。最近は、自分軸で生きようという思考が主流で、他人軸=他者と比べてばかりの人というイメージがあるが、本来、どちらが良い悪いはない気がする。あくまで私の捉え方ではあるが。
私は他人軸で生きている割合の方が多いと自覚しているけれど、自分軸の人は、確かにかっこいい。いわゆる「自分を持っている」人のように見えるからだ。でも、他人軸で生きている人も、他人のことを自分のように考えられる、非常に感受性の豊かな人だと思う。他人と比べてばかりでいると落ち込んでしまうが、そんな「他人軸で生きている自分」を否定するのは少し違うような気がするのだ。悶々と考えを巡らせる中で、以前読んだ本に出てきた一説を思い出した。

スノー・フレイク。それは、ポリティカル・コレクトネスにうるさい若い世代のことを、上の世代が揶揄して使う言葉だ。「雪片のように壊れやすく、傷つきやすい」という意味である。
p.157「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」ブレイディみかこ著

意味は少し違えど、私はきっとスノー・フレイクだ。壊れやすく、傷つきやすい。だから、コミュニケーションの中で、相手もそうかもしれないと思う。些細なことが引っかかる感性の持ち主は、些細な言葉で相手を傷つけるかもしれない、という意識が常にあるような気がする。ちなみに、「スノー・フレイク」という言葉は、言ってしまえば悪口みたいなものなので、相手に使う時は注意が必要である。
ただ、今の私は相手に気を遣うばかりで自分が疲れてしまっている。これは良くないことだ。早急に解決したいと日々思っている。解決するには「相手の何を気にしているのか」を探る必要がある。

友人間で
ライフステージが変わってきた

20代も後半、30代がもうすぐそこまでやってきていて、周りの友人たちは、様々なライフステージにいる。独身で趣味を謳歌する子や、仕事に打ち込む子。出産を控えている友人もいれば、もうすでに2児の母という子もいる。それぞれが、その子にしか分からない辛さや喜びを抱えて人生を歩んでいる。思うに、私が感じているコミュニケーションの難しさは、ここにある。

当たり前だが、ライフステージが違えば、それぞれ悩みも触れられたくない話題も変わってくる。趣味や仕事に打ち込んでいる友達は、もしかすると結婚生活の話を聞きたくないかもしれないし、子どもがいない夫婦は、妊娠出産の話題を避けたいかもしれない。様々な生き方が尊重されるこの時代において、女性のライフステージはセンシティブな話題として扱われている。
私は、このいわゆる「センシティブな話題」に対して必要以上に気を遣っていると思う。
もちろん、趣味を楽しむ子もバリバリ働いている友達も、出産・育児を経験している子も、みんな輝いている。そこに対しての劣等感やネガティブな感情が(私も人間なので、ないとは言い切れないが)この「話しにくさ」に繋がっている考えにくい。では、何が私をそうさせるのか。
ライフステージが違うからこそ、相手の不快になるポイントを突き止められない。ぼんやりとイメージは出来ても、100%理解することは不可能だ。
ポリコレという言葉が叫ばれるようになってもう随分経つが、ポリコレを意識しすぎて何も話せない、ということもある。今の私がまさにこれだ。相手の捉え方を必要以上に気にして、相手を不快にさせていないか、気に障ったのではない、というようなことを考えすぎてしまうのだ。

どうやって解決すればいいのか

自分でも分かっているのだけど、相手の気に触る言葉を一から十まで把握することは不可能だ。他者を100%理解することは出来ない。それはコミュニケーションの大前提でもある。
きっと、私に必要なのは、自分に対して寛容になること。相手から「誰も傷つけない私」と思われなくてもいい。自分を必要以上に下げてまで、相手に気を遣った会話やコミュニケーションはしなくても良いのだ、と思うこと。もし自分の発言や話題で、相手が嫌な気持ちになったなら「ごめんなさい」で良いのだ、と思うこと。
他人軸で生きている割合の多い私には、これは結構難しい。けれど、これが出来るようになったなら、きっと会話の後の呼吸が楽になるかもしれない。自分に対して寛容になること。これを2023年の目標にするつもりで、頑張っていこうと思う。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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