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セラピーでの深い気づきから軽く自分のことができるようになった話

HSPを深く学んでから1年半が経過した。その間、子どもが学校にいかなくなったり、仕事を控えめにしたり、資格の勉強をしたり、様々なことがあり、余白がある生活になっている。

そして、元気に過ごしていると思っている。

私は、子どもの頃から、学ぶことが好きで、机にいつもいるような子だった。自分としては、親に受験生をずっとやらされてたからって思っていたけれど、そうすることで、自分自身の特性を生かした存在の仕方をしていたのだろうと思う。

セラピーの講座を受けようと思ったのは、取得したキャリアコンサルタントの資格を生かして仕事をしていくにあたり、自分自身の感情の調整ができた方がいいだろうと思ってのことだったが、そこで、個人でセラピーで扱わなくてはならないと知らせる愛着、トラウマ関連のもやもや案件が発生したのだ。

そこから、個人セッションを受けて3回になる。

3回目、意識の上に上がっていたことをやっと取り扱い始め、数日前に、「あー、わかった!!私が感情にくっつけて小さな頃から持っていたのは、この信じ込みだったのね・・・」がってんいった。

そして手放した。

そして迎えた数日。朝目が覚めて、「あ、これやなきゃー。」と思っていた件をスルスルッとなんの迷いもなくこなしている自分がいる。今まで、ずっとできなかったの。あの人にメール1本送るとか、自分がリリースしたいサービスを、投稿するとか。子どものことだとできるのに、頑張って頑張って頑張ってお腹が痛くなりながら100万馬力使ってやっとの思いでやっていました。そこまでしないと、自分がやりたいこと(主に仕事)はできなかった。

これは、子どもがいるからじゃないと、わかっていた。でも、ずっとずっと取れない神経のくせだった。

HSPでいう共感性も、すでにあった共感性では充分でないと、もっと私は共感性を働かさなくては、もっと相手と同じ痛みを感じなくては、私は共感していることにならない。そう思って生きてきた。長い間NPOや支援をする職種、会社の中でも誰かをサポートする業務をしていて、神経の調整がうまくできなくなり、一度立ち止まって、余白を持つことをしてから、いま、3年近くが経過しようとしている。

共感して同じ痛みを感じなくてはならないと自分に課していたことで、私は私を守っていた。私は共感してるよ!こんなに悲しんでるよ!って、私自身に言い聞かせていた。お腹痛くなったり、胃が痛くなったりしながら、言い聞かせていた。悲しみの感情を持って、自分の存在を確認していたんだね。もう、その痛み、悲しみは、さようならして大丈夫。小さな小さな私を守ってくれたトラウマちゃん。もう、私は大丈夫だよ。今までありがとう。と、手放したのだった。

勉強好きな私にとっては、セラピーを受けるというのは、セラピーの勉強をするという形でないと受け入れられなかったのではないかと思う。今、少し自分のペースができてきた状況で、セラピーを個人で受けることができたこと、この手放しがあること。即効性ではなく、じわじわと実生活に、確実に変化が現れていること。もう、本当にこの機会をいただけたことに感謝しかない。

そして、毎日受験生のあれこれ、子どもの習い事でのこと、学校のこと、いろいろある中でも、これからの私の人生がとっても楽しみなのです❤️自分の人生の運転席にやっと座れたそんな気持ちです❤️




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