親子関係と簡単に一言で言っても、それはそれは千差万別だ。とても難しいなと思う。特に自分が子側であるときに本当に難しいと感じている。

そこには生まれてからこれまでにあった、さまざまなトラウマも絡んでいる。でも、HSPでない母にHSPな私が感じていることを発信しても、理解されていない感覚だけが残る体験をずっと子どものころからしてきた。それは大人になってからも変わらない。当たり障りないどうでもいい日常については共有できるが、それ以上に大切なこと、命にかかわるところは、やはり分かり合えたという感覚にはいまだになれないし、なったことがない。

HSPを知って、理解してから、「わたしは、わたしの命の声を届ける」そう決めている。コロナという病が、私にくれたギフトと思って、そのように対、母 対、親の行動をしている。

ものや食べ物が大事な世代の母が食べ物を大事にすることを優先しての、「おとうさんがいいっていうから届けに行く」それをあちらの都合で、私の仕事の間に、受け取れる予定のわたしの娘に会って渡そうとしたときに、わたしが拒否したときの悲しみもあるだろう。(そのとなりにいるいつも母が気づかいする対象の父が、私が母に発した決断をけんかごしで受け取っていることも容易に想像できる。)でも、母には母の人生をちゃんと生きてほしいし、母にはちゃんと命の声を届けたいんだよね、私は。

いつになったら伝わるかわからないけど、「電話ごしで咳をしている母に電車に乗って、食べ物を届けてほしくなかった」これが、私の命の声だと、伝わる日がいつか、くるといいなと思う。

そしてやはり親との関係をあきらめていない自分に気付く。

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