見出し画像

子どものコト悩んだらちょっとそのことから目線をずらしてみるといいかもしれません。

我が子のこと、毎日日替わりで次から次へと次の子が、一つ解決するとまた次の問題が・・・なんてことはありませんでしょうか?

実は、私は、毎日日替わりで誰かの何かに悩む・・・そんな風な暮らしをしていました。悩むのに疲れて、悩まないように、感じることを辞めていたこともありました。

子どものころから、生産性重視、成績重視、夢をもって夢の実現のために努力を重ね、大人になるまでに羽ばたいている。そんなことが理想とされていました。そのうえ、家では女子は家庭的に家族のために尽くし、家事は何でも卒なくこなし、社会では社会人として顧客と組織のために身体も心も使って学び続け、サービスを提供し、PDCAを回し、常によりよいサービスの提供できる業界のリーディングカンパニーであることを目指す。

そんな時代に育ちました。私は、子育てでも同じようなことをやりがちでした。でも、子育てはその通りに行かないことが多い。解決策を聞いてもその通りに解決しないことも多いし、解決策を聞いても、母親の自分がしっくりこないことは、やはり子どもに自分ではできないですよね。

でも、それでも子育てできているのは、「人間だから」だと思っています。人間って不思議で、私が全然できていないおかげで、子どもが勝手にちゃんと育ったり、子どもが子どもの力を発揮して自分を表現し始めたり、逆に親が子にアドバイスしてきて、親の私のほうが生きやすくなったり、子どもにごもっともな本質ついたことを言われて、下の子の子育てがスムーズにいったり、することもありました。(もちろん、そこには、保育園や学校、親以外の誰かが子どもに関わってくださることがあるからでもあります。)

でも、正解がないのが子育てなのに、学校ではルールが決められていて、これが正解というあり方がある。なぜか全員に同じように求められている。制服の着方、毎日同じ時間に行って、同じだけ決められたクラスで授業を受けるのが当たり前。正解だらけで、選択肢ないやん。。なんだか本当に世知辛いなと思うのです。そして親の私も、自分もそうしてきたし、その価値観にひっぱられがちで、その形に合わせようと毎日必死でした。(特に第一子)

自分たちと違う時代を生きる今の子どもたちは、今の生き方をしたいはずです。そしてもっと自分はこうなんだ!こうしたい!が私たち親世代では想像できないほど果てしないレベル感で語れるはずだと私は思うのです。

子どものことで毎日日替わりで悩んでいるときには、私は、私と子どもの問題を混同していました。HSPなので、子どものことと自分のことの境界線が曖昧だったのです。子どもの問題は子どものこと。子どものことであり、私のことではない。子どもがどうしたいかは子どものもの。この境界線を理解すること。そして、その上で自分はどうしたい?子どもにどうしてほしい?どうあって欲しい?を考えるように、なりました。

問題の渦中にいるとき、その問題のことを悩んでいると解決しません。しゃっくりが止まれ止まれと思っているときは止まらないのと同じですね。

少し目線をずらして、お子さんの得意なことに目を向けてみたり、親御さんご自身が好きなことを「ねえねえ、こんなことやってみたいなと思っているんだけど、どう思う?」と親自身が楽しいことやってみたり、話かけてみてください。そうすると、お子さんと楽しい会話ができて、楽しい会話の中から、もしくは、その先に、問題の解決の糸口につながることがでてくるかもしれません。私の場合は、ママ友と飲みに行ったときにとっても楽しそうにしている私をみたあとに、「ママ飲み会いっていい?」と迷いながら聞くと、息子が「ママは飲みに行った方がいいと思う」と言ってくれて以来、飲みにはたまにいくようにしています。(コロナ前の話。でも、リアルはたまにでいいので、その後はオンライン飲み会のときだけ主宰していますw)

子どものことで悩んだら・・・「少し目線をずらして、ママ自身の楽しいことや、楽しい会話をしてみよう」これが私からの提案です♪





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?