見出し画像

学校がはじまり、平日5日間稼働の1週間が終わる・・・

中学生の長女は部活も含むと週6、小学生2人も習い事を含むと週6、私も仕事に研修参加・子どものコト含むと週7(数日前までわが身のスケジュールを管理できていなかった・・・)間で1日、私は予定を変更して、休んだ。(破壊の夢をみて、ひどい頭痛がして、こういう日は遠出をしてはならないという感覚を信じてみた。311の経験から。)そして、朝も夫がコロナでほぼ在宅勤務になったことで、子どもたちをお任せして、私は早起きせずゆっくり起きて子どもを見送った日もあった。それでも、長かったなぁ1週間。そして母業、親業は週7ですよね・・・もれなく。世の中のお母たち、親業の皆様、本当に素晴らしい偉業をされていらっしゃる。と心底思います。そして、そう自分にもエールを送る。

中学生のHSC娘ちゃんは、土曜日部活から帰宅して、さすがに疲れて昼寝をして(いつもは、疲れていても昼寝ができない方・・)、夕方から、オンラインで予定されていたじぶん共創塾の画伯部に寝ぼけながら参加する。

その日は、パステルで、絵を描いていた。コロナ休み中は、シャーペンで繊細な細かい絵を描いていたけれど、今日はパステルで指で絵を描く。ぼんやりとした優しいタッチの絵。習い事から帰宅した末っ子が、合流して「わたしも」と、絵を描く。画伯部に絵の写真を提出すると、リーダーの方がそれを本人の希望の商品へと商品化してくださりホームページにあげてくださる。(こういうことをどうかな?面白いんじゃない?と、子どもたちに声をかけてくださる大人がいてくださる。いまはまだ、「これやりたい」と自分からならない子どもたち。自粛中唯一、zoomで参加し、言葉を発することが、できるようになったのがこの画伯部という部活だった。時間を共に過ごしてくださること、本当にありがとう。)

わたしは子どもたちがいなければこの世界を見ることはなかった。こんな風に人の成長にかかわることはなかった。周りのひととかかわることもなかった。この子が生まれた瞬間に、ささーーーっと鳥肌立つようになにかが降りてきた。その感覚だけは確かなものだった。

きっとどんな人も何かを感じることが、人生の中にはあると思う。目に見えない、頭で理解できない、説明できない大切な何かを感じ取ること。

そしてその感覚は、決して気のせいではない。「感じるということ」、「自分の感覚」それは、一番に信頼していいことなのではないかと思う。自分にしか感じられないこと、この世界で今確かにここにある身体が感じていること。

子どもたち個々に学校でこんな状況で、こうなのかな?と帰宅後、子どもに出てくる反応から、学校の様子を感じ取れることもある。大きくなって言葉にできる子どもとはそれを分かち合えるけど、まだ低学年の子どもは、感じていることを言葉では表現できない。彼らが感じている何かを安心できる自宅という場を作って、変わりに言語化するか、ただ一緒にいる。わからなかったら、泣いているそばで共に寄り添い共振する。そうあれるように、自分は自分の感覚に寄り添っていきたいと思う。

急いでコロナ以前の社会の当たり前に合わせるではなく、自分の感覚を信じていきたい。そして誰もがそうあれる社会であってほしい。

最近、感覚が感じられるようになった大人より・・・写真は末っ子の絵です。

じぶん共創塾画伯部の作品ページはこちら↓

https://suzuri.jp/bunbunjibun



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?