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「見えない世界を信じること。」HSP、HSCを知って、見えないことが体感として信じられるようになったことで、私の世界はずいぶんと変わった。

見えるもの、こと、現象が全てである・・・そんなふうに自分の中に取り入れていたけれど、見えていること、それさえも人によって見え方や、体での感じ方、受け取り方はそれぞれで、自分がどう見ていて、どう体で感じていて、どう受け取っていたのか?その程度はその時々により違っていたはずで、確かなものではなかったのになぁ・・・・。何を私は、信じていたのだろう?と今、思う。

ただ、体感として、自分の頭の中にグルグル回っている、ばあちゃんとの嫌な思い出があったときに、「ばあちゃんがついてるよ。」そう言われたことで、その数ヶ月後、あ、あの時亡くなったばあちゃんが私のそばにいたのかと、受け取ることができた。私は核家族なので、ばあちゃんとの思い出は一つもない。たまに年末年始に帰った時に、言われた、心ない言葉にどちらかというと傷ついて、根に持っていた。離れていて、普段接点がない私は、愛されていない。どうでもいい存在なんだと。一緒に住んでいる、いとこたちとの違いを感じていた。

嫌な思い出しかなくても、見えない世界があるんだ!そう、本当に体で理解できた時、五感をほぼない状態にしていたところから、自分の感覚が、少しずつ開いてきた。高感受性のこの字もない生活から、感受性がある生活に変わってきた。

見えないものを信じられる生活って本当に豊かだ。それらを感じられるHSPな私であることに、喜びを感じる。良いも悪いもない、ただ私が感じたままを感じればいいのだと気づいた瞬間だったのかもしれない。

1ヶ月前にこの記事を描きかけて、下書きに入っていたけれど、完成させて、ここから外に出してあげようと思う。自分自身に愛を。ありのままの私を、愛して存在させてあげようと。

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