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先日のセラピーでの気づきから、とっても楽に楽しくなってきている。(楽しいことなんて何にもないという人生からの脱却!!)

先日、子どもたちと箱根彫刻の森美術館へ行きました。これまで、子どもとどこかに出かけると言っても、出かけるまでの過程で疲れてしまい、現地ではとてもとても味わえる余力などなく、なんか楽しめない私でした。

でも、これって、子どものころからずっとある私のパターン。家族と外出とか、親の準備段階でのバタバタ感に共感しすぎて、とても疲れた。できれば行きたくなかった・・・家族みんなが出かけて、ひとりで家に残った時、嵐のあとの静けさに、よくホッとしたものです。そして、私のバタバタ感もまた子どもたちに伝わっていたのだろうと今、思います。

というわけで、当日は、準備はせずに、スマホと帽子と水筒を持って出かけた。

コンビニで買った朝食を車の中で食べた。

朝の開館、1時間前に駐車場に入り、余白の時間。噴水がでるのを楽しみに待ってみたり、館内の地図をみてどこにいきたい?と話したり、警備員さんとお話ししたりして過ごした。そして、美術館の中を楽しむ。

「この芸術作品がどんなことを表現しようと思って制作されたものなのか?」これまでの私はひとつずつ、答えを求めて、美術館で作品をみていた。たった一つの答えがあると信じていた。

「私が感じるように感じる。」これでいいのだ!と思って感じてみると、特に言葉が出てくるわけではないが、心の中からのワクワク、楽しみが出てきた。

そして、作者もこんなことを表現しようと考えて表現したものではないという情報も入って来た。芸術ってそういうものなのかもしれない。

先日のセラピーの際に、最上志向についての気づきもあった。

無意識で最上志向を選択してしまう私には、常に1つの最高を求めているから、間がなかった。たとえば、料理をするときの、調味料。この調味料が欲しいと思ったら、絶対それじゃないと嫌だ!とそれを探し求めるまで、あきらめないとか・・・

別の代替品でもいいね、そんな感じにすこーしだけ気を抜けるようになってきた。最上志向になってしまっている自分の緩め方に気付いたのです。

そんなことを思っていたら、本音とか、本質をついつい求めてしまう自分についても、私は本音とか本質をついつい求めてしまうし、それが楽しみだけれど、わたしからは、表面上に見える聞こえるけれど、楽しく毎日過ごしている人、たくさんいる!!その人たちはその人たちの楽しみ方がある!!そして、私は私の楽しみ方をすればいいんだね♡と、思ったのでした。

最上志向・・・もちろん、発揮するところには発揮するし、大体は目指してます(笑)人から見たら大したことないかもしれないし、え?そんなに?かもしれない。

最上志向をちょっと緩めてあげたとき、湧いてきた楽しみにも気づいてしまった♪♪♪本質・本音を求める私♪♪♪最上志向をちょっと緩めて湧いてきた楽しみを感じる私、どっちもいいね♪♪♪と、喜ぶ私がいる。やっぱり楽しい感情はたくさん感じられたら感じられる方が豊かだなーと思ったのです。

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