考えることをしなかった日々

私は、考えていることを共有したり、意見を伝えることが苦手です。そもそも、自分の考えというものを構想したり、持つようになったのがこの10年くらいの間の出来事でした。

生まれてから高校生まで、厳格な父がいる家庭で育ちました。父は短気でもあったので、機嫌を損ねないよう、家では自分を消し、なるべく父に関わらないように生きていました。
子どもらしい考えは全て「お前は何もわかっていない」と否定されるので、次第に父の前で発言することをやめました。そして、考えることすらもしなくなりました。怒られないために、何もしないのが楽でした。

親とのコミュニケーションがうまくいっていないことが原因なのか、学芸会や図工など、家庭で準備が必要なものがあっても失敗が多かったような気がします。
先生の言っていることで、肝心な部分を受け取り切れていなかったし、親に準備があることもちゃんと伝え切れていなかった記憶があります。

そのせいか、中学生の時に憧れた言葉は「臨機応変」です。状況に合わせて動くということが具体的にどんなことか分からなすぎて、いつも言葉の意味を考えて、適切に動ける自分を空想していました。

20代に入って、考えざるを得ない状況に追い込まれました。大学を卒業後、好きなデザインやイラストの技術を磨きたくて専門学校に入りました。そこで、アイデアを具現化する際にコンセプトを考えなければいけないのです。辛い時間でした。コンセプトが決まらない。まず、何を表現したいのか、対象物そのものの本質について追求する方法がわからなかったです。
準備期間が終了し、アイデアの発表の時間、同期の素敵なプレゼンテーションを見ながら私のアイデアはなんて普通以下なんだろうと恥ずかしくなりました。発表したくなかったなぁ。
 
しかし、専門学校での経験から、デザインについて調べたり、世の中に存在する表現方法について自分なりに考えたりする時間が増えました。人生のことを考えるようになったのも、20代中盤からうまくできるようになったと思います。人より20年遅れで、人生のスタートを切った感覚です。
 
考える、ということを始めてから10年、だいぶ考えるのが上手になったと思います。付属して、考えた事や分からないことについて調べる能力も向上したと感じています。30代になった今、考えるって楽しいなと思っています。
自分自身が、周りの環境や日々の出来事から何かを受け取る準備をしておくだけで、こんなに人生の楽しさが変わるなら、幼少期の私にも「考える事を諦めるな」と言っておきたかったです。

特に、創作活動の時間がぐんと楽しくなりました。これまでの経験からヒントを得て、架空の世界観作りに役立てられることに気づいた時、すごく楽しいなと感じました。

でも、人に「伝える」という作業がまだ苦手です。伝えて、今後、自分の意見が変わるかも知れないし……と相手に何かを突かれるのではないかという不安があります。伝えることについては、これからの課題として取り組んでいこうと思います。

そうして今、「文を書く」という、好きな事の一つを活用してエッセイ的なものを書いています。前回の投稿から、何について書くか悩んでいましたが、自分のことを書くにあたって、私の基本となることを記しておかないと、今後、何のエピソードも出せるようにならないと思い、恥ずかしながら過去のことを簡単に書きました。

本日も、良い日となりますように。

援護射撃 \ズバァァン/