最後に姿を見た

この年、2018年は自分の入院から始まり、翌月、おじいちゃんが死んだ年。

父親から連絡が来て、おじいちゃん(父親側)が亡くなったことを知りました。わたしの毒両親を作った元祖毒親(じーさん、ばーさんず)の中では、たぶん毒性は一番低い(毒親と思しきばーさんを放置・傍観・容認はした)人なのではないかと思われます。

自分の入院から1ヶ月も経たない間に里帰りまですることになり、お財布が悲鳴を上げていました。とはいえ、ここは可愛がってくれたおじいちゃんのため。入院費用も保険が下りるので、とんとんとまでは行かないまでもちょっとマイナス程度で済む、と踏みました。

「今日がお通夜で、明日がお葬式。来てくれるか?」
ちょうど暦は2月の連休に差し掛かっていました。
「うん、行くわ」
「Kくんはどうかな?」
すっかり女性の格好をし始めていたKくんは、ちょっとな。。。
「わたしだけ、お葬式に行く」
「わかった」
ついでに借りていた100万のうち、少しでも返そうと思い、封筒に20万ほど詰めて向かいました。

指定されたのは懐かしい中学・高校のある駅。
もう20年、じーちゃんとは会っていませんでした。
それこそ結婚の報告に父親が連れて行ってくれて以来でした。

幼稚園の引越以降、クリスマスにバターケーキをいつも持って来てくれてたな。緑のアンゼリカと、赤や緑色のチェリーが乗っているやつ。
うちではバターケーキを食べる人がいなくて、いつしかバターケーキはチョコレートケーキに、チョコレートケーキはアイスケーキにかわり、それもそのうちただのピノみたいなアイスの詰め合わせに変わったあとは、じいちゃんが家に来ることもなくなっていました。
じいちゃんとの思い出はそんなものでした。
おじいちゃん孝行とか、何もしなかったな。。。
20年も実家に帰らない間に、じいちゃん死んじゃったよ。。。。

おじいちゃんがどんな人だったかも知らないし、一緒にお酒を飲むこともありませんでした。

いろいろなことを考えながら待っていると、母親が車を運転してやってきました。母親や弟妹も当然参列するのだと思っていたのに、母親は普段着。わたしを拾って会場まで連れていったら、自分は家に帰るようでした。不機嫌そうでした。わたしは慌てて、運転中の母親に
「お母さん、これ」とお金の入った封筒を渡しました。
母親は封筒を一旦掴みましたが、中にお金が入っているのがわかったのか、わたしに投げて返しました。
「それはいらない。アンタたちにあげたんだから」
余計なことはするな、だったかもしれません。
とにかく、投げ返されたことがショックでほぼ記憶が飛んでいます。

気まずい時間が過ぎ、、、会場に到着してわたしを降ろしたら、誰にも会わないうちにさっさと車に乗って帰って行ってしまいました。

それが母親の姿を見た最後です。

というと母親も死んだみたいですが、まだ死んではいません。たぶん。
でもおじいちゃんと同じく、これから死ぬまでもうきっと顔を合わすこともないし、死んでからも合わすこともないんでしょう。

あの人は献体をしているから。









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