母親の実家ー毒親と対決6
金曜日、おじちゃんのお葬式の日。
会社を少しだけ早退させてもらい、なるべく安くなるように切符を買おうと思ったが、母親に向けて書いた最終の手紙のこと、毒親についてググったこと、実際親は両方とも毒親だったこと、わたしはアダルトチルドレンヒーロータイプに当てはまること、そして優しかったおじちゃんが亡くなったこと、、、いろいろなことが頭をぐるぐるしていて、しばらくちゃんと寝れていなくて全く頭が回らなかった。
とにかく1人分の母親の実家への片道(わたしの分)、ホテルのある妹の住んでい市内までの1人分(Kくんの分)、帰りは2人分の切符を買い揃え、Kくんの仕事の終わりに待ち合わせて母親の実家へ向かった。
ここに来るのも、2018年に亡くなった父親側のおじいちゃんと同じく、結婚した時に挨拶に来て以来20年ぶりだった。
あの時、母親側のじーちゃんばーちゃんは金婚式だったらしく、ついでながら私たちも結婚のお祝いしてもらったのだが、20年経ちいつの間にかじーちゃんもばーちゃんもいなくなっていた。
母親の実家もすっかり様変わりしていて、知らない場所になっていた。
母親の実家には、今は1番上の姉である宝子おばちゃんの一家が住んでいて、じーちゃんとおじちゃんの看病と看取りをしていたらしい。
宝子おばちゃんには男の子が4人いて(わたしの従兄弟)、長男がおばちゃんの家を継いで、1人だけ現地に残っているようだった。そして1番下の従兄弟は統合失調だった。
すっかりお葬式は終わっていて、お参りを済ませたあとおじさんの話、じーちゃんばーちゃんの話、そしてわたしの父親母親の話になった。
その時改めてようやく、父親と母親はいとこ同士というのを教えてもらい、掛けられてる写真を見た。
両親のおじいちゃん、つまりわたしの曽祖父の写真、それから亡くなったじーちゃん。並んで掛けられていた。
そっか、やっぱり親はいとこ同士だったのか。なんとなく母親からぼんやりとは聞いていたが、わたしには嘘をつくな!!と厳しく言う割に、自身はホラ吹きで、自分のことは全く話さない親だったので信じていなかった(笑)。
そりゃ、父親側のおじいちゃんのお葬式に、宝子おばちゃんがいてもおかしくないわけだ。その年の8月にお墓参りに行ったことまで、宝子おばちゃんに筒抜けだった。
父親が、母親の実家に引越してきた宝子おばちゃんの旦那さんのために一脱いだ話とか、意外な話も聞いた。父親のDVで宝子おばちゃんの家に1ヶ月程逃げたこともあるし、妹が生まれる時に弟が預けられたりもあって、宝子おばちゃんにはお世話になりっぱなしだったのは知っている。父親はちゃんとお礼?みたいなのができる人なのか〜、と思った。
それから母親のこと。
宝子おばちゃんの旦那さんも母親のことを気にしてくれていた。
結局母親は、親の葬式も弟の葬式も姿を見せず、だったようだ。おじさんに母親から連絡はあるのか尋ねられたが、口を濁して黙り込むわたしを見て、宝子おばちゃんが「黙ってなさい」みたいにおじさんを黙らせた。
母親は、何年か前まで倒れたじーちゃんとおじちゃんの世話のために実家にやって来ていたらしい。その後妹にも行かせるようになって、急に来なくなったようだ。
その時まではおばちゃんの末っ子の統合失調も、妹の統合失調で得た知識などで、おばちゃんを助けたりもしていたらしい。
ちょうどKくんが適応障害といわれて、「アンタもあそこに住めば?」と意味がわからないことを言われた頃。
どうもそのあたりの時期に母親に何か合ったようだ。
夜が遅くなってきていて、田舎なので電車も少ないため、2時間ほどで過ごしてお暇することにした。明日は妹と会うし、市内にKくんも待ってくれている。
ーKくんにも来てもらって、ぜひ泊まっていきなさい
そう言ってくれるおばちゃんの申し出は固辞して、Kくんが待ってくれている市内へ戻った。
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