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自分が尋常じゃなく繊細だと思ったらHSPだった①

「うわぁ。せっかくの誕生日なのに、仕事が入っちゃうなんて可哀想!」

作家活動を開始してから初めて迎える、書店イベント。

その開催日が、私の30歳の誕生日と重なることが確定した日のこと。

それを知ったKは、憐れみながら言葉を続けた。

「せっかくの誕生日なのに、旦那さんとか彼氏とかと食事に行かず、仕事だけしてて良いのか!?」

彼は鼻の穴を膨らましながら、まくし立てる。

若干、鼻毛が出ていることにも気が付かずに。

「誕生日は、仕事じゃなくて大切な人と過ごすべき!」

彼は偽善に満ちた表情である。

ハァ。ありがとうございます。

うるせぇ。

誕生日の日にイベントを設定するのは、私から自発的にスタッフさんに持ちかけてお願いしたんだわ。

スタッフさんは全力で協力してくれているんだわ。

それをアンタは、何を、毛を出しながら、のうのうと。

静粛に。

Kは当時、別業務で一時的に関わっていた人物で、とくべつ親しかったわけではない。

だが、現場ですれ違うたび「結婚とかしないの?」と平気で聞いてくる人だった。

別に良いんだけれども、未だにこういう化石が、21世紀にいるの?

もしくは、21世紀だからこそいるの? How are you?

共通の価値観を持たない人からのテロに対して、戸惑う俺がいる。

こんな時も、このクソおじさんに向けて

「彼氏は募集中なんです♡ピエ〜ン♡ピロピロ♡」

とか言わなきゃいけないわけでしょうか?

お望みの言葉はセレクト可能ですが、決して返してさしあげるつもりはございません。

そんなふうに思いながら私は、

「自分の尺度で物事を測ろうとしないでいただけますか」

と、毅然と言い返せたほうが良かったのかもしれないですけれど。

あの日は、発言のコンディションがイマイチで返せなかったんです。

貼り付けた笑顔のまま硬直して動けなかったのです。

自分に負けてしまった。

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※本記事を読む際の注意

ワタクシは、思考のなかで時々、自分のことを『俺』と呼ぶことがあります。一部、一人称が俺という表記になっていますが、お気になさらず。

そんな出来事があった日の夜、私はアンオフィシャルなSNSの投稿で、

「近頃、感性が研ぎ澄まされており、良いことも沢山あるのだが、辛い。人生の脇役からの不用意な発言にめちゃくちゃ傷ついて、あまりにも辛い」

というようなことを呟く。

すると友人から、一通の返信が届いた。

「そういうこと、あるよな。それって、『HSP』っていう特性かも知れない。私もHSPなんだわ。

でも、そういう『敏感な人』がどんな世界でも生き残るんだよ、きっと。そして、傷つけるよりも傷つくほうが強くなる」

というような一文だった。

HSP?

初めて聞く言葉なのだが、それは果たして食い物か何かだろうか。

取り急ぎ、そのメッセージについては礼を言った。

そして、そこから私は頭の中で「エイチ・エス・ピー」という言葉が定期的に反芻するようになった。

そのあいだも人生は続く。

私は1冊目の本に関して全力でプロモーションに励む傍ら、2冊目の私小説の執筆に取り掛かる。

今度は『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』という私小説を書くミッションだ。

これがまあ、書きながらゴリゴリと自分の過去の傷をえぐる。

それは救いであり、祈りであり、書き綴ることが使命であるように思えた。

見えない光を掴むようにして、物語を仕上げていく。

ときどき過去がいきなりフラッシュバックして、打ち合わせの最中に泣き出してしまうこともあった。

そんな私を、担当編集者の女性は優しくなだめてくれる。

過ぎ去り日々を優しく包み込み、自己肯定していく作業は、俺にとって一番のセラピーだったのかな。

駅のホームでメンタルがやられてしまい、急に一歩も歩けなくなったことも、包み隠さず回想する。

オートマティスム。

つまり自動筆記のように書き上げた気もするし、真っ白なキャンパスの上を苦しみながら塗り上げていった気もする。

これは宣伝だ。読んでな。

とにかく私はそうした日々のなかで、自分の感覚がさらに研ぎ澄まされていくのがわかった。

「エイチ・エス・ピー」とやらを調べてみると、わかったことがある。

それはどうやら、略さず言うと心理学的な用語で

Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)という、人の気質をあらわす言葉の名称らしい。

ハイリーセンシティブという言葉がメタな感じで、若干カッコイイ。

だがこの特性により、人一倍気疲れしやすかったり、冗談を受け流せなかったり、相手の機嫌に自分が酷く影響されすぎてしまう方も、中にはいるらしい。

さらに実生活においても、この特性をもつ一部の方は人混みや騒音が尋常じゃなく苦手で、他人の些細な言動が気になる傾向があるという。

は?

俺のことやん。

といわけで私は、この「エイチ・エス・ピー」についてさらに調べるため、国立国会図書館に足を踏み入れ、資料を読み漁ることにした。

ここでは無料で、日本のほぼ全ての書籍が読めるわけで。

このnoteでは、引き続きHSPについて探っていきます。

どこかで有識者の方からお話を聞くか、なんらかの手段を考えています。

この「繊細」という気質で大変な思いをしている人が、今日もどこかにいるはずな気がするから。


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