好きな人と一緒にいない勇気
少し前の話になるが、恥を忍んでお取引先にこんな連絡をした。
「メンタルのコンディションが少々悪く、制作物の進行がやや遅れるかと思われます。原因は小さな失恋のようなものです」
初めてぶっこんだ、プライベートな内容だった。
プロの物書きとして、頭をかきむしりたくなるほど恥ずかしい。
(ちなみに、これまでお約束の締め切りを破ったことは一度もない)
幸い、その創作はタイトに進行しているものではなく来年に向けてゆっくり動いているご案件だった。
なので、大きなご迷惑をかけることはまずない。
担当者は「人生修業は作品に深みを与えるきっかけになりますから」と、電話口で笑って了承してくださった。
「大木さん。あんまり無理しすぎないで。恋愛も仕事も」とも。
私は街中でひとり敬礼し、心で泣く。
同時に、ヒタヒタと冷静な感情がおとずれる。
そして「とりえあず向こう1ヶ月は『いつもの自分』ではいられないだろう。しかし、そこから先は多分平気だろう」と推測する。
お相手との関係性や深度、自分の性格上の癖、これまでの経験。
そうしたチェックシートを基準にして、恋が終わるたびに想定できる「メンタルのダメージ」をおよそ弾き出せるようになった。
「こんな推測が出来るくらいなら、私は最後の恋がしたいんだ」と強く願う。
しかし、今回は珍しくどこかで妙な希望もあった。
というのも「こういう時に絶望したくないから、自分の脚で立てるように精神を鍛えてきたんだろう、俺は」と天から自分の声が降り注いできたのだ。
そう。今の私は、曲がりなりにも自分自身でしっかりと立っている。
だから今はわりと辛くても、これはもしかしたら”大丈夫な案件”なんじゃないかと目論んだ。
子鹿のようにヨロヨロと立ち上がり、生き延びるための戦略を模索する日々が始まった。
24時間以内に親友にLINEで連絡をとり、臨時で「メンタルカスタマーサポートセンター」も立ち上げる。
私:「大丈夫だと思うけど、深夜に発作が起きたら連絡してしまうかも」
親友:「OK。なにかあればすぐに連絡しろ」
部屋のなかで敬礼し、小さく泣いた。
■
ことの発端は、「もうこれ以上、一歩も前に進めねぇな」と感じた恋愛にある。
お相手の事は好きだった。
しかし、これ以上踏み込めば自分が傷ついてなんか嫌だな判断し、光りの速さで撤退することにした。
「撤退」とはどのようなことかといえば、お互いの関係が始まる前に強制終了させたのである。
お相手に対して「もう連絡してこないで下さい」と直球ジャブを打ち込んだのだ。
自分で決断しておきながら、痛いし辛いし、物理的に心臓がチクチクした。
その判断は我ながらあまりにも正しく、「心」では英断であったと理解している。
ところが、冷静な自分とご乱心な自分が心のなかで錯綜している。
そして「恋をぶった切った後」にいつもおとずれる脳内システムをどう処理したらよいか分からない。
悩んだ末、私は「ひたすら仕事に集中する」という選択をすることにした。
何かしていないと、少々気が狂いそうになりそうだったからである。
しかし、あくまでも方向性には注意した。
「私には仕事があるんだ」とか、「仕事があって良かった」とか代替療法になってはいけないと思った。
「好きな人に出会えたことも、光速離脱したことも、仕事に邁進していることもオールOKだ」
と全肯定しながら、仕事と恋愛をひとつずつ切り離して考えるようにする。
ちょっと乱雑ではあるけれど、もう誰も恨まず妬まず忘れちまおうと思った。
すると、なんか、それが出来た。
人生で初めての経験だった。
一時的なハイではない。
むしろ今、心のなかに静寂がおとずれて軽やかな気分でいる。
そんな技術が、31歳になって芽生えるとは思ってもいなかった。
誰かを忘れることは、「繊細な感覚」を失ってしまうことだと思っていた。
それは、私にとって恐怖と罪悪でしかなかった。
でも、どうやらそれは違う。
美しい思い出も、誰かを好きだと思う清らかな感性も、忘れていいのだ。
そして、全速力で逃げていい。
哀しいけれど、時間は有限だ。
だから、悩ましい案件からは早めに身を引いて己の人生を生きるのよ。
それでもわずかに後ろ髪が引かれる思いは、心の艶っぽさに繋げる。
今、私はとても自由を感じている。
バナー写真:トナカイさん
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