誰かに嫌われているより、誰かを嫌っている人の方が生きにくいと思う

みなさんこんにちは、ユシアです。

ここ数日は暖かい日が続いていますね。
このまま春になるのか、だとしたら今年も暖冬ですよね。
月末くらいには、また寒い日が来るのではないかと予想しています。

それはともかく…
今日は「誰かに嫌われている人」よりも
「嫌いな人がいる人」の方が毎日大変なのでは?
と思った話について書きたいと思います。

「もしかしたら学校で・職場で、あの人に嫌われているかもしれない……」
そう思ったことってありますか?
それをどう受け止めるかはともかく
そう考えたことは誰にでもあるのではないかと思います。
少なくとも僕にはあります。
今の職場でも「僕はあの人に嫌われているかもな」と思いながら
出勤していたことがあります…(笑)

ちなみにその時の僕は
「変なことをしたら嫌われるかもしれない、と思うより
最初から嫌われている方が楽だわ。」
なんて割り切っていたので、特に苦痛ではなかったのですが。

他人に嫌われることが怖くて
「あの人に嫌われているかもしれない」と辛くなる人もたくさんいるのではないでしょうか。

でも僕は思うんです。

身近な誰かに嫌われている人よりも、嫌いな人が身近にいる方が
毎日の生活が大変だったり、つまらなかったりするのではないか、と。

みなさんは、身近に「嫌いな人」っていますか?
幸いにも、今は僕にはそういう人はいないのですが
過去には学校や習い事・サークルなどに
「この人苦手だ……」と感じる方がいました。

これって結構辛いんですよね。
苦手だと言っても、邪険に扱えば自分が悪者になりますし
苦手な人ともうまく付き合わないといけない場面はたくさんあります。
これって、かなり苦痛なことだと思いませんか?
そしてさらに、自分が相手を嫌っていることを相手に気づかれないようにしようとすると
とても気疲れします……。

もし誰かに嫌われていたとしても、それを自分が知らなければ
特に気にすることなく、平和に過ごせるんです。
そう考えると「あの人に嫌われているかもしれない」と考えることって
時間が勿体ないな、と思いませんか?

以前ツイッターで、こんな内容のツイートを見ました。

「自分のことを嫌っている人がいたとして
『私が存在するだけで、あの人に嫌な思いをさせられる!』
と考えると、ざまーみろって思いません?」

ちょっとこの言い方は意地が悪いかもしれませんが
正直、自分のことを嫌いな人に対する気持ちって
これくらいでいいと思うんですよね。

実際、100%の人に好かれる人はいないわけで
少なからず「自分のことを嫌いな人」は存在します。
もし自分のことを嫌いな人がいないということは
多分…自分のことを好きでいてくれる人もいないです…。

だから実害がなければ「もしかしたらあの人に嫌われているかもしれない」
なんて思う必要はありません!
僕みたいに、そう思っている方が楽ならばそれはそれでいいと思いますが。

見えない相手の気持ちをどう予測しようが自分の勝手。
今、周りの人との関係がうまく行っていると思うなら
勘ぐることはせず、そのまま今の生活を楽しみましょう!



20代後半ゲーム好き。Youtubeにてゲーム実況を始めたばかり。好きな人と好きなことをして生きていくことが目標。