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みんなで育てる

「やはり、動いてないですね」

エコー写真を見ながらDr.は事務的に
言った。

二人目を妊娠した時
一人目の時よりもつわりがひどく、
なんとなく、違和感も感じていた。

検診で
「おめでとうございます」と言われた次の瞬間
「心臓の動きが弱いですね」
Dr.の言葉に
「でも、動いていますよね」
と震える声で答えた

「動いてはいるけれど…来週も来てください」
Dr.のの声は冷たかった
(もうだめだな…そんな響きを感じた)

お願い生きて!

つわりと闘いながら
私は祈った

ご近所が顔色の悪い私を心配して
「お昼に食べて」と
サンドイッチを持ってきてくれたりもした。


1週間、気が気ではなかった

ビクビクしながら検診に行くと
「止まって…しまいました」

目の前が暗くなった。

Dr.はたんたんと手術の話をしていた


手術の日

分娩台の上に乗せられた

新しい命を生み出すためでなく
止まってしまった命を取り出すために

怖くなり看護師さんの手をぎゅっと握った

点滴から落ちる麻酔でいつしか
意識を失った。


“いたっ”
鈍い痛みで目が覚めると
小さな個室のベッドの上だった。

私が目を覚ますのを待っていたかのように
ノックする音がした。

あったかい紅茶が運ばれてきた

「ありがとうございます」

自分が今、どんな状況なのか
わからずにいた

紅茶は美味しかった

“ずきっ”

下腹部をさする

そうか…君はいなくなってしまったのだね。

カップを持つ手が震えた


その後、診察を受けて
会計待ち

待合室には新生児を連れたママさんや
妊婦さんが診察を待っていた。

娘と夫が
カゴに寝かされている赤ちゃんを覗きこんでいた

「かわいいね」
娘の言葉に若いママさんがにっこりする

あぁ…
本当なら娘にも兄弟ができたはずなのに
と涙が…

娘は生後すぐ、心臓に穴があると言われた。

“穴は生理的なものですぐに塞がります”

当初、そう言われていたのだけど、
この頃、通っていた大学病院では、
“この穴は塞がりません、いずれ、手術です”と言われていた。

二人目の流産で私は自分の体のせいで
子供達を辛い目に合わせてしまったと
思った。

お母さんのせいではありませんよ

Dr.は優しく言ってくれたけれど…


その後、妊娠することはなく、
娘が5歳になった頃、

特に、避妊するわけでもないのに
妊娠しないのは何か悪い病気?と
夫婦で心配になり、夫が転勤族から、
工場勤務になったのをきっかけに
病院のドアを叩いた

総合病院の待合室には
妊婦さんもいた
大きなお腹を愛しそうに撫でる姿に
私はほっこしていた

タイミング法に失敗するたびに
あぁ。またか、と思ったけど、

娘がいる!
そのことが力強かった

と、同時に娘に早く兄弟を!

私もいつまでもら若いママではいられないのだからと、焦ってもいた。

幼稚園帰りの娘を連れての通院は大変だったけど、娘は紙と鉛筆を持たせておけば、
大人しくしている子だったから心配はなかった。

「上手にかけてるね」

通りすがりの看護師さんに
「ありがとう」と笑っていた。

私には娘がいたから、妊婦さん達のいる所で不妊治療も平気だったのかもしれないけど

今はまだいなくても

ひょっとしたら…
なんて気持ちがあったとしても

子供に罪はない

その子供を産む母にも罪はない

確かに、欲しいのにできない
という気持ちはわかる
私も二人目を流産してるから

だけど
だからと言って
妊婦さんを恨むのは違うと思う

無事に生まれてきてくれる事を
願うという心の余裕を持ちたい

赤ちゃんはみんなで育てるものだから 

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