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特別な日

あの日から21年目

まだ解決しない問題がある

21年目の今日
日朝首脳会談が行われた

その日
私は朝から
一大イベントを控えて
大忙しだった

人生においても
厳かで
大変なイベント

そう
「出産」だ

予定日にまだ早い
その日の朝

いつもと違う痛みで目を覚ました
そして
トイレにいった

まずい!!

破水してしまったのだ

陣痛の感覚は思い出せなかった

慌てて
寝てる夫の足を連打

「大変!大変!破水しちゃった!」

その声に
夫は飛び起き

「どうしたらいい?」と聞いてきた

私は娘を起こして
朝ご飯を食べさせて

とお願いして
病院に電話

看護師さんが
「すぐきてください!」と

私はパニックになりながら
幼稚園に電話にした

…つもりだった

「はい、〇〇です」

えっ?

私は連絡網の担任の先生の自宅に電話をしてしまっていた

「朝早くから、間違えてすみませんでした」と平謝り

「いえいえ、大丈夫ですよ、落ち着いてくださいね。」
と先生のお母様

その後、無事、幼稚園に
娘のおやすみを伝えて、病院へ

入院前の検査など
すっ飛ばし、車椅子に乗せられて
破水してるとの事で
そのまま分娩室へ

ほどなくして
痛みが襲いかかり
息が止まる
私が息を止めると
赤ちゃんの心拍が下がる

「お母さん!息して!」
看護師さんの声が響く

何度も痛みで息が止まる私

酸素吸入器が口にあてがわれた
冷たい空気が口の周りに当たり
ちょっとだけ楽になった

だが…
子宮口は開いているのに
赤ちゃんが出てこない

そんな中
悠々と担当医が現れた

次の瞬間
ニコニコ顔が
険しい顔に変わった
(立ち会った夫談)

気づくと
私の周りには
看護師さん
助産師さん
総勢8人が囲んでいた

痛みで体を歪ませる私

「危ない!動かすな!」

いつもは冷静な先生の怒号に
どうなるのか
私は不安だった

結局、吸引を2回行い、無事誕生
だけど、泣かない
また、不安になり、体を起こそうとする私をやんわりと看護師さんが分娩台に戻した。

先生が何回かお尻を叩き
やっと、泣いた声は小さかった。

良かった、無事産まれた

処置を終えて
病室へ

疲れているはずなのに
眠れず、廊下を歩いて
新生児室へと向かった

産まれた我が家の息子は
両サイドを女の子に挟まれて
すやすやと眠っていた

通りすがりの食堂のテレビに
私は目が釘付けになった

そこには…
日朝首脳会談の文字が…

これが拉致問題の解決に…と
アナウンサーが興奮気味に言っていた

息子よ
あなたはとんでもない日に生まれてきたね

それからというもの
息子の誕生日が来るたびに
この日を思い出し
解決の目処も立たないのを
歯痒く、苦しく思うのだった

紆余曲折あったけれど
息子は無事に21歳になった
これからも
大変な事が待ち受けているが
持ち前の「力」と培った「力」で
自分の道をしっかりと歩いてほしい

拉致問題も
今年こそ
綺麗に片がつき
おめでとう!といえるように
願っている

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