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世の中はいつも子供が作る*鯉のぼりがはためく家族の風景

端午の節句が近づいてきた。

あちこちで鯉のぼりを目にすることが多くなる。

色褪せた木綿の鯉のぼりは珍しいが、
一軒のうちで十近くの鯉のぼりがはためいていたのを目にした。

もしやお父さんとおじいさんとひいおじいさんのと、全部集めた?

でなければ、時々新しいのを買いたくなる鯉のぼりフリークがいる?

我が家の愛犬は男の子だったので、サークルの入り口に、
スーパーで買える、お菓子付きの鯉のぼりをくくりつけていた。

そんな鯉のぼりをたくさん収集して、ひとつの綱に通し、
玄関先から通りに向かって、インテリアのように飾っていたお宅もあった。

どうして人は鯉のぼりを飾りたくなるのか。


遠出した時、里山らしい小さな川の橋に添うように、
たぶん寄付か何かで集まった、
大きさや色合いのまちまちな、鯉のぼり達がはためいていた。

もっとみんなに見て欲しい愛着のある鯉こいのぼり。

畑や田んぼや山々の若葉の色の中で、ひときわ鮮やかに川風に揺れていた。

揺れるという形が人の心をとらえるのかも知れない。

鯉のぼりのすっきりした明るい色が、目に晴れやかだ。

子供の健康を願って空を泳いだ鯉のぼりに、
子供の少なくなった集落を思い、
眺める人は子育ての苦労を思い、
遠く離れた我が子を思い、
育ててくれた亡き親の恩を思い、
それで、家族の懐かしさを呼び起こすのだと思う。

小さな子供の健康だけを願った謙虚な気持ちに、
ただ、若かった自分を思い返すひともいると思う。

ひとつひとつの思い出が、足跡のように、
過ごした年月の中の風景に刻まれている。

そんな胸に残る思い出が、
まるで古い写真を眺めても飽きないように、
鯉のぼりが引っ張り出してくれるのだと思う。

絵本の坂田金時、金太郎の物語には、
鯉の滝登りの話が入っていた。

何度も何度も小さな娘にせがまれて読むうちに、
ページをめくると、自分で暗唱した金太郎の物語を語る。

(もう、字が読める?)と驚いて、
(ひとりで絵本読めるなんてこれから楽だわ~)と喜んだのもつかの間。

その絵に反応して、単純に覚えた物語を一言一句間違わず、
「たかたのちんとちは」と幼児言葉でしゃべりだすだけだった。

そうか、もしや頭の中に、あの子なりの不屈の精神が根付いて、
やるせない今の時代、心をすり減らさずに頑張れているのかも知れない。

日本中に鯉のぼりがはためいているその意味を、
日本中の子供たちの多くが、
ちゃんと知っていく時間の流れの中で、
たくさんの物語が作られていくのかも知れない。

向かい風を受けて、泳げ泳げ。

高い空を目指して、目の前の滝も登れ。




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