私まで「食欲」「性欲」「睡眠欲」を考える
なんのために三大欲求というものを考えたのか、
五大欲求だとどうなのか、等々、確かに「人は考える葦である」・・・?
分からないで使ってる言葉の数々に、どんどん不安になるのだけれど。
三大欲求といえば、「食欲」「性欲」「睡眠欲」。
私の考えは、そこは変わりようがないと思う。
三大欲求を言い換えれば「入れる」「出す」「休む」。
これは生きるための肉体的欲求。
①栄養を取りこんで、体のエネルギー機能をあげなければならない。
②不要なものを排出して、毒素の再吸収を防がなければならない。
③交感神経と副交感神経の規則的な働きで恒常性を保たなければいけない
この場合、②の性欲は「性器欲」の表現が近いと、私は捉えています。
幼児が「うんち」だの、「おしり」の言葉が好きなのと同じです。
出すことにエクスタシーを感じる訳です。
三日も便秘した後に出したらスッキリしますよね。
尾籠な話で恐縮ですが、それと同じだと思います。
もちろん生物としての種の保存という本能、発情に関することが、
性欲の中にはいりますが、ここまでに「人間性」はないと思います。
肉体としての人間はただ動物と同じ。
「入れて出して休んで」は、いわばサルと同じ状態だと思います。
しかし、たとえば睡眠欲にはショートスリーパーはじめ、
10時間以上体を休める人も出てきます。
そのように、①②③に個性が加えられた時に初めて、
人間性が現れてきます。
そこが、ステンドグラス369Yamaさんの記事で語る「表現欲」と
同じ意味なのかも知れません。
人間、最後に残るのは感受性だと思うので。
私自身の考えは、二大とか五大とかを考えるのではなく、
三大欲求の中で、深く枝分かれしていて、
そこに「サルから人間へのランク分けがされている」
というのが正しいのじゃないかと思います。
私が「三大欲求」として考えるのは、あくまで最低限のランクの意味。
②の性欲に関しては動物は発情期以外は交尾をしませんし、
人間の中でも出すだけでOKの方もいらっしゃるでしょうし、
数打ちたい人と、鳥のようにパートナーにこだわる人もいます。
またその交尾の形態も人間はさまざまな姿態で行います。
楽しみとして行う場合もありますし、ここのランク分けは、
非常に難しいと思うのですが、解脱状態を求めての場合もあると思います。
その場合単なる交尾を越えて、
エネルギーの交換状態ではないかと想像します。
陰陽のマークのように「手を繋いでいるとスライムになったかのよう」
という関係は、出すだけの満足で終わる交尾とはランクが違うので、
もはや欲といっていいのかどうかすら分かりません。
肉体的な欲求(いわゆる三大欲求)と、
精神を兼ね備えた肉体的な欲求(人間)は別物。
サル 食べれればいい
人間 美味しいものを食べたい
サル どこでも糞尿排出
人間 綺麗なボタン付きトイレが好き
サル 眠くなったら寝る
人間 徹夜を覚悟して残業
このようにサルと人間は違うではないですか。
性欲というのは人間の、通常想像してしまうセックスではなくて、
もっと広い意味の、排尿排便のエクスタシーから始まる、
性器欲ではないかと考えています。
私はね。
ステンドグラス369Yamaさん、返信記事とコメントありがとうございます。
いろんな人の考えを聞くのは面白いですよね。
知らないことも教えていただき、勉強になります。(8月6日追記)
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