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騙し討ちのスカイフラワー*高所恐怖症人生

高所恐怖症だと確信したのは、20代になってからだ。

小学生の頃は高いところからジャンプする遊びは
それなりに好きだったし、上から見下ろした時の空間の広がりが
それまでと違って見えることに、多少なりともワクワク感があったはず。

何より幼い頃は、絶対私なら空を飛べる、と信じていた。

なのに。。。

高層ビルで、下を眺めると吸い込まれそうな気がする。

オシャレなガラス張りのいろんなお店は、
たとえ2階だとしても一度行けば充分だった。

「いまさらだけど、東京タワー行こうよ」と友人と出かけた。

足元の面積の狭いガラス越しでも、地上を見る気力が起きなかった。

展望台にいったはずなのに、近寄って眼下の街を眺めることも出来ずに
富士山の方向を眺めるばかりだった。



後楽園遊園地には、スカイフラワーという
ロマンチックな名前の乗り物があった。

「空の花」その優しさと暖かさを含んだ響きに、
どれほどの人が騙されただろう。

そもそもアトラクションの見た目もシンプルで、可愛らしい。
しかし、その怖さは乗った人でないと分からない。。。

たとえばバンジージャンプなら、恐怖を迎える時間は長いが、
その恐怖の本番時間は短い。

スカイフラワーとはそこが違う。

乗ってみたら、仇討ちの為に脇差しに片手をかけた、サムライのような
ストーカーがせまってくるような恐怖が、それもじんわりとやってくる。

大抵一人で乗ることはないだろうというのが救いだが、
心の臓が、それこそ空の向こうに飛んでいくような気分になり、
脳にも支障をきたしそうになる。

なんといっても、足元にあるほんの少しのスペースしか
自分を守るものがないのだ。

上下左右素通しで、身も心も空に散る花びらのような気分になってしまう。

(   怖   い   )と気づいた時に、足元にしゃがみこんでも、
時間はゆっくりと怪談話のように進む。

もう、叫んでも誰も助けてくれないのだ。

ひたすら神や仏に祈るしかなくなる。

いや祈る時間は持てただろうか・・・。

しかも充分に空の花になったあと、地上に舞い降りる過程がさらに怖い。

怖さと安全性に丁寧すぎるのだ。

例えていうなら、心の臓のありかが分からなくなり、
血流が滞ったかのごとく、気持ちが冷え冷えする。

「もう少しだから大丈夫よ」

一緒に乗った友人の一言だけが、命の熱を発している。

スカイフラワーから降りても、ベンチに座ってジュースでも飲まなければ
魂は浮遊したままで、地上の天使から、地上の人間に変身できなくなる。

私の知っているこの世で一番恐ろしい乗り物だ。

そもそも対策方法を考えて遊ばなければならない乗り物ってどういうこと?

(東京ドームシティのは進化しただろうけども)←何が?

しかし、いいこともあった。

スカイフラワーのお陰で、生活の中で、
「高い」という壁に立ち向かう時に、慎重に物事を進めることが出来た。


ゲレンデのスキーのリフトは低かったせいか、
或いは、雪の白がふわふわで柔らかく見えるせいか、
足元がスカスカでも、大人としての平静を保つことが出来た。

念のため、夏の時期にゴンドラで試してみたら、
スカスカじゃなくても高さが増すと、正比例して怖いことを知った。

緑色の山の斜面も、その草の上に落ちたら、死ぬかもと思えた。

もう、スキーというものがこの世にあるのは忘れることにした。


娘の遠足には、その頃は小さな遊園地がお決まりだった。

観覧車に二人で乗ってみた。

スキー場のゴンドラより、安心感の点数が高そうだった。

しかし半分の高さまで登ったところで、我慢できなくなった。

大人しく椅子に座る3歳の娘。

床にへたり込んで「こわいーこわいー」と3歳の膝にすがりつく母親。

3歳は「お母さん、大丈夫、大丈夫。窓が閉まってるから」と
背中をポンポン叩いて、なだめてくれた。

諦めて、次の年からはよそのお母さんに乗せてもらうことにした。

娘は「お母さんは高いところは苦手」と覚えていても、
観覧車の中での二人のやりとりは覚えていないと思う。

きっと。

若い女の子が羨ましいと思うのは、
どんなシチュエーションで泣いたり、叫んだりしても、
誰も白い目で見ないだろうというところだ。

私は死ぬまで、この対策に気が抜けない。


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