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A_014 SNSの数に踊らされる可哀想な人


結論から言います。
数に踊らされている人が多くいること。
そして、残念ながら数の魔力に負けて、福岡のカメラマンの中にはフォロワーを買っている人が多く存在すること。数に幅を利かせて悪質な行為を繰り返している方がいることを知り、悲しい思いをしています。

僕は、SNS、特にInstagramに撮った写真を物語風に組み上げてキャプションをつけて投稿するスタイルをとっています。人物写真を撮る人の中では、おそらく変わった部類の人間です。正直、映像でそれをやる方が見る側のストレスは少ないと思いますが、自分が決めたスタイルだし、ブランディングの一環としてここを変える気はありません。撮りたいものもその中にあるからです。

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さて、本題は、このSNSメディアでの出来事。
このカメラマン要注意!という話を聞きました。SNSのタイムラインではそう言った内容の投稿を時々見ますし、怖い話だと少し遠巻きに見ていました。直接、身近に知り合った方から言われるのは初めてだったのですが、まさかのまさか。アカウントの特定は致しませんが、表題の「数」があるからこそ、そう言った間違いが起きるのかと少し気持ち悪くなりました。

1.フォロー数と投稿レスポンスの関係性

Instagramの現行仕様では、モバイル端末でのいいね数が見えません。フォロー数が1万以上であれば、最低でも1,000はつくいいねが見えない=フォロワー数がその人の評価と取り違えてしまう傾向があると分析しています。
案件なども当然数が多い方が信頼して「この人なら任せられる」と取られるからです。フォロワー数は俗にいうファンの数。今更そんなこと言わなくても、インフルエンサーとしての役割、信頼度に直結していると思われるから、これほど恐ろしいことはありません。見えない「いいね」の数が、真実を隠してしまっているわけです。
Twitterでは、その傾向が薄いのか、Instagramがメインの1万フォロワーを持つ福岡のカメラマンは、大概の場合100から200です。普通に考えて、1万人のファンがいれば、Twitterでも動向を追いたくなるからそんな数にはならないですよね。

一方、PCからInstagramを閲覧すると、いいねの数が表示されます。化けの皮というと聞こえは悪いですが、これが事実です。ただし、長い期間を経て得たSNS上のファンは、時間の経過とともにSNSから離れていく人がいます。実稼働アカウント数も限られていることも少し頭に入れておきましょう。

ここの結論は、フォロワー数で判断するのではなく、投稿のレスポンス(フォロワーの10〜15%のレスポンスがあるかどうか)で見ることが大切だということ。

2.フォロワーは買えてしまう

検索サイトで、「Instagram フォロワー 買う」で検索するとフォロワーを購入できるサイトがいくつも見つかります。Instagramの規約では、この手の人為的なフォロワー数を増やす行為をコンプライアンスに抵触する行為として規定を設けているようです。

ご参考程度ですが、2019年にNHKで特集が組まれているようなのでリンクを

フォロワーを買った結果、得られるのは、中身の伴わない量的な充実と僕は考えています。中身が伴わないからこそ、ギャラリーを見ると「美しい」ように見える金太郎飴がたくさん。機材と編集でどうにでもなる写真が多く並んでいます。金太郎飴に10,000もつくか?というのが僕の本音です。
そして、数を欲する人は、自分に自信がないからリアルワールドの自分自身の写真は載せません。そりゃそうだ、見られたら不味いことがあるんだから。本名隠している人も気をつけておきましょう。

3.水増しの結果、周りが信用を補完する

ある程度、数を人為的に作ると界隈で名の通った人との繋がりもスムーズになります。これがまたリスクを生むわけなのですが、フォロワー数が純粋に多いインスタグラマーが相互フォローになっている(なってしまう)と、水増しの事実よりもレアキャラによるフォローが武器になってしまうのです。「あ!あの有名な○○さんがフォローしているから安心だ!」ですね。
あまり写真が上手ではない僕から見ても、明らかに写真が退屈で、下手ではないけど両手を上げて盛大に拍手するレベルの上手さではないと感じます。まあ、金太郎飴。周りが補完する信用に踊らされないことが大切です。

4.目的は何?純粋さはどこに逝った

今回のこの記事は、警鐘を鳴らす意味でも書いています。
性善説に基づくのであれば、世の中かなりハッピーですが、人の心は悪と考えるとまあ恐ろしい。数を確保する目的が、写真を撮ること意外にあるとしたら?理論はこうです。

「カメラは道具。写真は手段。目的は被写体。」

カメラを手に取り、写真を始めた時のことを覚えていますか。目に映る世界を美しく、自分が理想とする形で写して、その世界観を共有する。純粋に美しいものを美しく残したい。大切な記憶を記録にして残したい、ありのままの生活を残したい。ただ、撮ることに喜びを感じ、満たされていた気持ちがいつの間にか変わっていることがありはしないだろうか。
カメラには思いはありません。思い出はあるかもしれません。写真には思いがこもります。思い出も閉じ込めてくれます。この意味がわかりますか。

「カメラは表現のための手段。写真は結果。目的は表現すること」

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目的の表現を達するために、撮った写真が結果として残る。至極当たり前のことなのですが、これを忘れて写真を撮る行為が手段となってしまうことに悲しさを感じます。

では、まとめます。

こと福岡においてカメラマンを選ぶ基準は、フォロワーの数ではなく、あなたの感性に響く写真を残しているかです。
仮に、数を基準にするのであれば、投稿の質が高く、2,000〜3,000のフォロワーがいる方がクオリティ高いように思います。直接の面識はないですが、個人的にこの2人は好きなフォトグラファーです。

中野 安奈さん

藤重 廉さん

上記のお二方と比較してしまいますが、10,000前後のフォロワーで白く飛んだ写真を撮る方は、下手じゃないけど(下手だと思う人もいます)、個人的には全く面白くないです。本当に金太郎飴。
数は信用ではありません。虚構を撮ることもできる写真だからこそ、そこにあるリアルが残っているものを、僕は支持したいと思います。

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