優しい味のドリアを食べたい

今日の夕方、家を出ると、隣の家からドリアの匂いがした。
野菜とベーコンをバターで炒めた匂い。ほんのり甘いご飯の匂い。ホワイトソースの匂い。
私はたまらなくなり、ファミレスに入った。


私は小さい頃、ほうれん草が苦手だった。
ほうれん草が食卓に並ぶと泣きながら駄々をこねて家族を困らせた。
ある日、晩御飯にほうれん草のソテーが出た。
ほうれん草の料理の中ではまだ食べやすい味だと思うが、私はいつものように泣き喚いて「ドリアが食べたい」と駄々をこねた。
すると母は私の分だけホワイトソースを作り、ほうれん草のソテーを使って一人前のドリアを作ってくれた。
そのドリアがすごく美味しくて、嫌いなほうれん草も喜んで食べた。母は嬉しそうに笑った。
その日から私はほうれん草が好きになった。

こんなこともあった。
小学生の頃、母が「少し贅沢をしよう」と言って、二人で少し高めのレストランのランチを食べに行った。
美味しい料理ばかりだったが、私の心を掴んで離さなかったのが、デザートに出てきたクレープシュゼットだ。
バターの豊かな香り。オレンジの酸味と苦味。リキュールの味。これぞ大人のデザートだと思った。
私は帰ってからクレープシュゼットの絵を描き、ランチに一緒に行ってなかった父に、いかにクレープシュゼットが美味しかったのかを説明し続けた。
その日から一週間はクレープシュゼットの話しかしなかったと思う。そのくらいクレープシュゼットが気に入っていた。
ある日、学校から帰り、玄関に入ると、バターとオレンジの匂いがした。靴も揃えず台所へ駆け出すと、母が「気に入るかどうかわからないけど。」とお皿を指した。
クレープシュゼットだ。紛れもなくクレープシュゼット。
夢中で頬張ると、あの時、ランチで食べたものと同じ味だ。何ならそっちより美味しいと思った。
嬉しくて嬉しくて仕方なかった。嬉しそうな私を見て、母も嬉しそうに笑った。

今になって思えば、私は親から溺愛されていた。
インターネットもまだ普及していなかった時代。
母はどうやってクレープシュゼットの材料やレシピを調べたのだろう。
きっと図書館に通い、本などを見て必死に調べてくれたのではないかと思う。
すごい労力。
そして、父は父で、仕事から帰って来て疲れているところに、自分が食べてもいないお菓子について延々と語られる一週間。それを耐えてくれた。
すごい労力。
本当に溺愛されてると思う。

私が誰かのためにここまで労力を使うことはあるのだろうか。
誰かをここまで愛せることはあるのだろうか。


ファミレスで食べたドリアはちゃんと完成されていた。
だけど、ホワイトソースから大量生産の味がした。
少しだけしょっぱく感じる。
あと少しだけ優しさがほしいなと漠然としたことを思ってしまう。
私は少しだけ寂しくなった。
そして、ちょっと色々食べ過ぎて、まぁまぁの代金になった。
お財布はかなり寂しくなった。

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