誰かのサンタさんになりたい。

2018.12.24(月)

クリスマスイブだ。
クリスマスで一番楽しいのは大事な誰かのためにプレゼントを用意することだと思う。
友達、恋人、自分の子ども。自分にとって本当に大切なその人が、受け取った時に喜んでくれる顔を想像しながらプレゼントを選ぶ。
その時間のなんと楽しいことだろう。

あいにく私にはクリスマスプレゼントを贈れる相手などいない。

この歳になって思うが、何かを贈ろうとする、それだけのことにも権利のようなものが必要な気がする。
好きじゃない人から何かをもらってもそんなに嬉しくないし、場合によっては困るだけだと思う。
昔の私はそんなことも考えずに、誰かれ構わずに何かを渡していた。
高校時代には、節分にクラス全員に小分けにパッケージされた大豆を渡していた。
今思うと、我ながら気持ち悪い。
怒鳴られたり、投げ返されてもおかしくなかった。
当時、周りにいた人の優しさを感じる。
この歳になってやっと、私が誰かにモノを渡す権利がある場合は少ないということを、気づくことができ始めた。
今でも、めちゃくちゃモノを渡したい欲が抑えられなくて、やらかすときはまだまだ多いのだが。

私がクリスマスプレゼントを贈ることができる相手などいない。それはわかっているのに思ってしまう。「誰かのサンタさんになりたい。」

とりあえず、クリスマスイブの今日、自分が迷惑になることなく、誰かのために贈ることができるものは、労働力だと思った。なので今日は目いっぱいバイトを入れた。
しかし、バイトは日常的にしていることだ。誰かのためでは無く、お金という対価がある。あくまでも自分のためにするものだ。
私の欲求とは違う。満たされない。

なので、バイトの合間をぬって献血へ行った。
私なんかから抜かれた血でも、血は血。迷惑にはならないだろう。ちゃんと必要とされる。
それに、受け取ってくれた人の中に私の血が流れていると思えば、クリスマス特有の寂しさも和らぐ。
私なんかでも誰かのサンタさんになれる気がする。

しかし、私がサンタさんになる道は厳しかった。
血管がなかなか出てきてくれず、祝日で忙しい献血ルームの職員さんを困らせに困らせた。職員さんが皆さん優しかったので、さらに申し訳ない。私に使う時間をもっと有効に使えたろうに。

そうやって迷惑をかけながらも、なんとか献血までこぎつけた。血が抜かれて袋に溜まっていくのを見ると、満足感があった。私の血よ、ちゃんと役目を果たせよ!!

献血が終わった後、職員さんがお菓子を沢山くれた。申し訳ない。けど、嬉しい。何となくクリスマスプレゼント交換をしたような気分になる。
私の「誰かのサンタさんになりたい」という欲求は結構満たされた気がする。
献血、短時間でできるし、献血ルームもとても居心地良いですし、職員さんも優しいので、皆様もお時間あるときにぜひとも。


バイトを終えて、帰宅。
部屋の片隅に、今まで、渡そうと買ってはいたが、渡せずに積み重ねてきたお土産の山が見えた。
地元の名産品、地元で造られたお酒、旅行先で買ったお菓子……一つ一つそれぞれ誰に渡そうと思っていたか、それを選ぶときにどんなに楽しかったか、渡せず持って帰ってきた時にちょっと悔しかったこと、全部を生々しく思い出す。
こういうときに限って何で目に入るのだろう。

今日、献血に行ったのは別に良い。でも、やっぱり目の前で喜んでくれる誰かにモノを渡すこともしたい。
というか、献血はクリスマスだからと言わず、普段からしよう。自分の欲求を満たすためとかそういう邪念抜きで血を抜こう。

クリスマスはできることなら自分が大事だと思う人にプレゼントを贈りたい。
大事だと思う人の喜んでくれる顔が見たい。
できれば「誰かの」じゃ無く、「大事な人の」サンタさんになりたいー!!
愛したい-!!愛されたい-!!愛し愛されたい-!!
来年こそは-!!来年こそは-!!

と思っていたら、母親から電話がありました。
今の今まで、私が愛している、私を愛してくれている両親にプレゼントを贈るという選択肢を忘れていました。
来年は両親にクリスマスプレゼントを贈ろうと思います。

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