ゲーム禁止の家に育った結果、ゲームが苦手になった
子供の頃、私の家ではゲームは禁止されていた。
そればかりか、アニメや漫画もダメと言われて育った。親は私の将来を考えて、勉強やスポーツに専念させることを意図していたのだろう。
しかし、その結果として、ゲームはおろか、アニメや漫画といった大衆文化全般に対して疎くなってしまった。
友達がゲームの話題で盛り上がっているのを見て、取り残されたような気持ちになることも多かった。
マリオのクッパを知らないと発言した時は皆に世間知らず過ぎるとガヤされた。
ゲームに対する苦手意識は、成長してもなかなか消えなかった。
大学時代に友人たちが楽しそうにゲームをしているのを見ても、どうしても一歩引いてしまう自分がいた。「もう大人に片足突っ込んでるのに、ゲームでワイワイ騒ぐなんて情けない。」なんて思ってしまったこともある。(甚だ時代遅れな考えだ)
子供時代に染み付いた「ゲーム=悪」という価値観が心の奥底に残っていたからかもしれない。
革新的だったインターネットとの出会い
そんな私が初めてインターネットに触れた時の衝撃は、今でも忘れられない。それはまさに革命的な体験だった。
友達の家で見せてもらったおもしろフラッシュ、今でも絶対に忘れない。
インターネットは、親の目を盗んで自由にアクセスできる世界であり、そこには私がこれまで経験できなかった無限の情報とエンターテインメントが広がっていた。
アニメや漫画、さらにはゲームの情報まで、インターネットを通じて初めて自分の目に触れることができた。
その当時の私にとって、インターネットは未知の世界への窓だった。
親の管理の及ばない空間で、自分が好きなこと、興味を持つことを自由に追求できるという解放感は、今までの生活とは全く違うものだった。
それ以来、ガラケーを駆使してインターネットの沼へとハマり、やがてインターネットは私の生活の一部となり、なくてはならない存在となった。
インターネット依存への道
インターネットが日常生活の一部になると、次第にその依存度も増していった。
初めは単に情報収集の手段として使っていたが、やがてそれが日常のすべてを支配するようになっていった。
朝起きてすぐにガラケーを手に取り、夜寝る前まで画面を見続けるような生活が当たり前になった。当時はhtmlとcssを駆使してホームページのテンプレートを作るのにどハマりしており、テンプレ作りたさに学校をサボった。
インターネットがなければ生きていけない、そう感じるまでにはそう長い時間はかからなかった。
現実の世界では苦手だったゲームは相変わらず苦手なままだったが、インターネットを通してゲームしている人を許容できる様になってきた。
アニメや漫画も、ストリーミングサービスや違法なアップロードサイトを通じて手軽に楽しむことができた。
インターネットは、子供時代に抑圧されていた自分を解放する手段であり、現実逃避の道具でもあった。
矛盾する感情
今でも、インターネットは私にとって重要な存在だ。しかし、その一方で、子供時代に親がゲームやアニメを禁止していた理由も少しは理解できるようになった。
親が心配していたのは、まさに私が今直面している「依存」だろう。
しかし、インターネットなしではもはや仕事も生活も成り立たないのが現実だ。
インターネットが私に与えた自由と、その反面としての依存、この相反する二つの側面を抱えながら、私は今日もスクリーンの前に座っている。
インターネットは無限の可能性を提供してくれるが、その裏には常に自分を見失うリスクも潜んでいることを忘れてはいけない。
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